長谷川昇(読み)ハセガワ ノボル

20世紀日本人名事典 「長谷川昇」の解説

長谷川 昇
ハセガワ ノボル

大正・昭和期の洋画家



生年
明治19(1886)年5月11日

没年
昭和48(1973)年8月26日

出生地
福島県会津若松

学歴〔年〕
東京美術学校西洋画科〔明治43年〕卒

経歴
明治41年在学中に「海辺」が第2回文展初入選。第4回文展で「白粉」入選。44年パリに渡りファン・ドンゲンらと交友、大正4年帰国。同年日本美術院洋画部同人となり、同展に「オランヂュ持つ女」「オペラ踊子出品。10年再渡欧、11年春陽会創立参加、同人。昭和2年外遊、パリの画廊個展。4年春陽会展に滞欧作品を発表。13年春陽会を脱会、16年文展に参加、審査員。以後文展、日展に出品、日展理事、32年日本芸術院会員。戦御文楽人形絵、歌舞伎役者絵を描いた。代表作に「裸婦」「おをぎ」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長谷川昇」の意味・わかりやすい解説

長谷川昇
はせがわのぼる
(1886―1973)

洋画家。福島県会津若松生まれ。北海道で祖父母に養育され、1905年(明治38)東京美術学校西洋画科に入学。在学中第2回文展に初入選、10年に卒業し、第4回文展に『白粉(おしろい)』が入選、褒状を受ける。翌年渡仏し、15年(大正4)帰国して日本美術院洋画部同人となる。21年再度渡仏するが、翌年帰国して春陽会の創立に参加、裸婦像や人物像を発表した。38年(昭和13)春陽会を退会し、41年文展審査員となり、以後、文展、日展に出品。57年(昭和32)日本芸術院会員となる。晩年は、油絵による歌舞伎(かぶき)役者絵、文楽(ぶんらく)人形絵に情熱を傾けた。

[小倉忠夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川昇」の解説

長谷川昇 はせがわ-のぼる

1886-1973 大正-昭和時代の洋画家。
明治19年5月11日生まれ。黒田清輝に師事。明治44年フランスにわたり,ルノワールらに傾倒。大正11年春陽会の創立に参加,のち新文展,日展に出品。晩年はユニークな歌舞伎役者絵をかいた。昭和32年芸術院会員。昭和48年8月26日死去。87歳。福島県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「長谷川昇」の解説

長谷川 昇 (はせがわ のぼる)

生年月日:1886年5月11日
大正時代;昭和時代の洋画家。日展理事
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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