門出村(読み)かどいでむら

日本歴史地名大系 「門出村」の解説

門出村
かどいでむら

[現在地名]高柳町門出

荻野島おぎのしま村の南、東はとちはら村、西は石黒いしぐろ村、北西黒姫くろひめ山。枝村に板畑いたばたけ居谷いだに(現石黒地籍)中後なかご下寄合しもよりあいがある。集落は鯖石さばいし川左岸の門出、対岸倉下くらした、門出の南の中之坪なかのつぼとその西の鯖石川支流石黒川左岸の下寄合にある。元和二年(一六一六)から同四年に長峰藩牧野忠成に属した時を除いて高田藩に属し、以後幕府領、慶応元年(一八六五)頃桑名藩領。正保国絵図に高一二六石余。天和三年(一六八三)検地帳(高柳町史)では田八町一反余・畑屋敷二一町四反余・山四二町五反余・青苧畑一町二反余。屋敷持六二人、うち一ヵ所は番所。


門出村
かどいでむら

[現在地名]吉永町高田たかた

八塔寺はつとうじ川の中流谷間にあり、南は神根本こうねほん村、東は播磨国行頭ゆくとう(現兵庫県赤穂郡上郡町)。慶長一八年(一六一三)の和気郡御勘定帳に神根内として村名がみえ、物成六三石余、夫米三石余。寛永備前国絵図では高八九石余。「備前記」に枝村として宿清しゆくせいいち小原こはら・赤ホウサがみえる。「備陽記」では田畑八町三反余、家数三四・人数一九五。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると、直高一三二石余で御学校領。二口高一〇九石余・残高一〇五石余、反別田四町三反余・畑三町七反余、家数三四、うち前原三・本村一二・小原一一・おほうさ六・中村二。檀家はすべて三石みついし(現備前市)の光明寺宝珠ほうじゆ院檀家、人数一三〇、牛一〇、猟師鉄砲三、用水石釜樋六、宮一(八幡宮)、四ッ堂二、山四八町余(うち二反は御学校御林)、藪九畝余(御学校領)古城跡(城主明石宗蓮)


門出村
かどでむら

[現在地名]板取門出南かどいでみなみ門出北かどいできた

板取川東岸に位置する山間の村。対岸は松谷まつたに村、南は加部かべ村。享和三年(一八〇三)の仮名附帳(蓬左文庫蔵)では「かといて」と訓じ、「濃州徇行記」では南北に分けられる。天正一七年(一五八九)七月一五日の板取之内村々検地帳写(長屋文書)に「かとてむら」とみえ、高四〇石七斗余、田七反八畝余・畑四町九反八畝余、名請人数五。文禄三年(一五九四)八月二一日の深尾左介外二名連署申付状(同文書)には「加とて村」と記され、山年貢三石九斗が定められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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