改訂新版 世界大百科事典 「間人皇女」の意味・わかりやすい解説
間人皇女 (はしひとのひめみこ)
生没年:?-665(天智4)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(梅村恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…欽明天皇の皇女。埿部(はつかしべ)穴穂部皇女,法隆寺金堂釈迦三尊像銘では鬼前太后とも記す。母は蘇我稲目の女小姉君(おあねのきみ)。同母の兄弟に穴穂部皇子や崇峻天皇らがいる。父を同じくし,母の同母姉の堅塩媛(きたしひめ)を母とする用明天皇の后となり,聖徳太子,来目皇子,殖栗皇子,茨田皇子を生んだ。天皇の没後,天皇と異母妹蘇我石寸名との子である田目皇子と結ばれ,佐富女王を生んだ。【勝浦 令子】…
…645年(大化1)6月に甥の中大兄皇子(天智天皇)らが蘇我氏権力を打倒すると,皇極女帝の譲位をうけて即位し,中大兄皇子を皇太子とし,年号を大化と定め,同年末に都を難波の長柄豊碕宮(ながらのとよさきのみや)に移した。また中大兄皇子の妹の間人(はしひと)皇女を皇后としたが,即位以前にすでに妃の阿倍小足媛(おたらしひめ)との間に有間皇子を生んでいた。天皇の治世は改新政治の発足期で,中大兄皇子が実権を握って政治を推進したとみられるが,653年(白雉4)に至って,皇子は天皇が同意しなかったにもかかわらず,皇極上皇,間人皇后以下公卿百官人を率いて大和の飛鳥に戻った。…
※「間人皇女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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