阿河庄(読み)あてがわのしよう

日本歴史地名大系 「阿河庄」の解説

河庄
あてがわのしよう

阿弖川・当川・阿胝川・安世川・阿世川・阿手河などとも書く。有田川の上流、現清水町一帯にあった荘園高野山文書のなかに比較的まとまった史料があること、高野山寂楽寺などとの間に、当庄の領有をめぐって永年の紛争が続くこと、地頭荘園領主との争いも長期にわたって激しく、一方在地領主として成長をめざした地頭の厳しい荘民搾取が行われ、荘民がまたこれに鋭く対決したことなどが特筆され、研究史上代表的な荘園の一つである。

空海の御手印縁起に引用する弘仁七年(八一六)七月八日付太政官符に、高野寺領四至の「南限当川南長峯」と所見。ただしこの文書は史料としての信頼性は薄い。正暦三年(九九二)四月日、左大臣藤原仲平の旧領石垣いしがき上庄が右大弁兼内蔵頭平惟仲に売却されて立券(「石垣上庄立券文案」又続宝簡集・正智院文書)、次いで惟仲は長保三年(一〇〇一)六月二六日、みずから建立した白川寺喜多院(のち寂楽寺、跡地は現京都市左京区北白川仕伏町)に他の所領とともに施入したが(「中納言平惟仲手印文書案」又続宝簡集)、その寄進状に「石垣上庄壱処字阿弖川」と記されるのが、確実な文書の初見。つまり当庄はもと石垣上庄とよばれ、白川寺寄進の頃から、阿河の荘名となった。(金屋町の→石垣庄

保延三年(一一三七)一二月五日の阿河下庄検田目録帳(又続宝簡集)を初見に、上庄・下庄に分れる。同目録帳では、下庄の作田五一町五段二四〇歩。畠は建久四年(一一九三)九月日の下庄所当注進状案(同集)に六〇町、ほかに柿七〇〇本、栗林二〇町と記される。一方上庄は、同年の上庄田検注状案(同集)に五〇町八〇歩、荒・河成・年不作を除く作田三七町六段二七〇歩、同年九月日の上庄在家畠検注状案(同集)に畠二一町八段三〇歩、桑一千八九〇本、柿五九八本、栗林三一町七〇歩、漆三二本、また在家は八五宇(うち脇在家二五宇・女五宇)、ほかに逃亡死亡跡一二所と記される。なお文永一〇年(一二七三)六月四日の上庄在家畠等検注目録案(同集)では、畠・桑・柿・栗林・漆の面積・本数は右と同数であるが、在家は九三宇、内訳も本在家三二宇・脇在家五五宇・女六宇とあって、在家の変動が激しい。上庄の村名としては、押手おして杉野原すぎのはら板尾いたお久野原くのはら・立神・井谷いだに(文永四年五月一〇日「上庄在家綿注文案」同集)湯河ゆかわ(正平一五年一一月一三日「後村上天皇綸旨」上山文書)などが知られ、有田川・湯川川合流点付近が、上庄・下庄の境とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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