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阿羅本 あらほんA-lo-pên

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

阿羅本
あらほん
A-lo-pên

7世紀のネストリウス派キリスト教 (景教 ) の司教。 635年,ビザンチン帝国のシリアから長安に到着した。唐の太宗皇帝は尚書左僕射房玄齢をして迎えさせ,宮中において経典を翻訳させ,貞観 12 (638) 年阿羅本のために長安の義寧坊に大秦寺という教会堂を建てた。同 23年に即位した高宗皇帝は,唐の諸州にそれぞれ大秦寺をおかせ,阿羅本に鎮国大法主の称号を与えた。このことは景浄の『大秦景教流行中国碑』 (781建立) に記されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

阿羅本
あらほん
Araham

生没年未詳。7世紀の人。431年、エフェソス公会議で異端を宣告されたキリスト教の一派ネストリウス派の伝道師で、中国に入ったペルシア人司祭。この派は中国で景教(けいきょう)とよばれた。「大秦(たいしん)景教流行中国碑」や『唐会要』によると、635年、唐の宰相房玄齢(ぼうげんれい)の出迎えを受けて長安(ちょうあん)に入り、3年後、太宗の保護を得て都下義寧坊(ぎねいぼう)に波斯(ペルシア)寺(大秦寺(たいしんじ))を建立。宣教のためにとった唐王朝迎合主義により、高宗の治政下においても景教は栄え、阿羅本は鎮国大法主に任ぜられた。なお阿羅本はアブラハムの名の音訳か、教会長老をさすシリア語に由来するかなど、諸説に分かれている。[磯見辰典]
『佐伯好郎著『景教の研究』(1935・東方文化学院東京研究所) ▽佐伯好郎著『支那基督教の研究』第1~2巻(1943・春秋社松柏館) ▽P・G・マックスウェル・スチュアート著、高橋正男監修、月森左知・菅沼裕乃訳『ローマ教皇歴代誌』(1999・創元社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の阿羅本の言及

【景教】より

…ネストリウスが,キリストやマリアの神性を弱めると解されかねない説を主張したため,431年のエフェソス公会議で異端と決定され追放されると,東方に教圏をもとめ,まずイランの地でかなり栄え,ついでさらに遠く中国に至ったのである。中国には,唐の太宗治世の635年(貞観9),ペルシア僧のアラホン(阿羅本)を団長とする伝道団が堂々と長安に到着するや,太宗は宰相の房玄齢らをして宮中に迎えしめ,その経典の翻訳を勅許し,布教を勧めた。3年後には長安の義寧坊に一寺を建立させ,僧21人を出家させた。…

※「阿羅本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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