日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿羅本」の意味・わかりやすい解説
阿羅本
あらほん
Araham
生没年未詳。7世紀の人。431年、エフェソス公会議で異端を宣告されたキリスト教の一派ネストリウス派の伝道師で、中国に入ったペルシア人司祭。この派は中国で景教(けいきょう)とよばれた。「大秦(たいしん)景教流行中国碑」や『唐会要』によると、635年、唐の宰相房玄齢(ぼうげんれい)の出迎えを受けて長安(ちょうあん)に入り、3年後、太宗の保護を得て都下義寧坊(ぎねいぼう)に波斯(ペルシア)寺(大秦寺(たいしんじ))を建立。宣教のためにとった唐王朝迎合主義により、高宗の治政下においても景教は栄え、阿羅本は鎮国大法主に任ぜられた。なお阿羅本の名前の由来は、アブラハムの名の音訳や教会長老をさすシリア語など、諸説に分かれている。
[磯見辰典 2018年2月16日]
『佐伯好郎著『景教の研究』(1935・東方文化学院東京研究所)』▽『佐伯好郎著『支那基督教の研究』第1~2巻(1943・春秋社松柏館/複製・1979・名著普及会)』▽『P・G・マックスウェル・スチュアート著、高橋正男監修、月森左知・菅沼裕乃訳『ローマ教皇歴代誌』(1999・創元社)』