日本大百科全書(ニッポニカ) 「大秦景教流行中国碑」の意味・わかりやすい解説
大秦景教流行中国碑
たいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ
ネストリウス派キリスト教(景教)が唐に流伝したことを記念する石碑。781年(唐の建中2年)建立。発見は明(みん)末で、長安の義寧(ぎねい)坊内あるいは長安近郊の大秦寺(景教教会堂)にあったものらしい。現在は西安(せいあん)の陝西(せんせい)省博物館の「碑林」に保存されている。碑高2.76メートル、基底部幅約1メートル、同厚さ27センチメートル。篆額(てんがく)部には装飾十字架と大字3行の漢文表題「大秦景教流行中国碑」が刻まれている。碑面は漢文の題記、述者名(僧景浄・アダム)、本文、後記、書者名(秀厳)が漢字総計1700字余、シリア語文2行からなり、さらに下方に漢字27字を含むシリア文19行の後記がある。碑側にはシリア文字と漢字で僧(主教・司祭など)70人の名が刻まれている。本文は、天地創造、メシアの出現と昇天、景教の意義、大秦(ここではシリア、ペルシア)のネストリウス派キリスト教と唐朝との関連、韻文による唐朝への頌文(しょうぶん)から構成されている。中国キリスト教史にとっても、また唐音韻学にとっても貴重な資料である。この碑文のラテン語訳がイエズス会士N・トリゴーによって1625年に発表されると、西ヨーロッパ・キリスト教世界が大いに注目するところとなり、シノロジーsinology(中国学、シナ学)に弾みがついた。
[梅村 坦]
『佐伯好郎著『景教の研究』(1935/復刻版・1978・名著普及会)』▽『神直道著『景教入門』(1981・教文館)』