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房玄齢 ぼうげんれいFang Xuan-ling; Fang Hsüan-ling

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

房玄齢
ぼうげんれい
Fang Xuan-ling; Fang Hsüan-ling

[生]宣政1(578)
[没]貞観22(648).7.24. 坊州
中国,唐初の名相。字は喬松。山東臨 淄の人。 18歳で進士となり,隋に仕えたが,隋末の乱に挙兵した李淵 (→高祖) ,世民 (→太宗) 父子の勢力に加わり,謀臣として活躍。初は秦王世民のもとにあって人材の養成,推薦に努め,多くの名臣を集めた。世民が帝位についた貞観年間 (627~649) には宰相として重きをなし,杜如晦魏徴らとともに「貞観の治」をもたらすのに貢献した。のち「房杜」は名相の代名詞になった。

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デジタル大辞泉の解説

ぼう‐げんれい〔バウ‐〕【房玄齢】

[578~648]中国、初の政治家。斉州・臨淄(りんし)(山東省)の人。字(あざな)は喬。太宗に仕えて15年にわたり宰相を務め、杜如晦(とじょかい)らとともに貞観の治の基礎をつくった。文章家としても知られ、「晋書」の撰にもたずさわった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ぼうげんれい【房玄齢 Fáng Xuán líng】

578‐648
中国,唐初の名宰相,字は喬。斉州臨淄(りんし)(山東省)の人。末の混乱期に李世民の幕下に入り,杜如晦(とじよかい)ともども〈秦王十八学士〉の筆頭におかれた。李世民が即位して太宗となるや,相位にあること15年,〈貞観の治〉とよぶ黄金時代を現出させた。大敗に終わった太宗の高句麗遠征には激しく反対した。杜如晦が決断に長じたのに対し,彼は企画に長じたとされ,唐の名相といえば,必ず〈房杜〉と並称された。【礪波 護】

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大辞林 第三版の解説

ぼうげんれい【房玄齢】

578~648) 中国、唐初の政治家。字あざなは喬。山東の人。太宗に仕え唐朝創立に努め、杜如晦とじよかいらとともに宰相として貞観じようがんの治を現出させた。房杜と併称される。「晋書」の撰者。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

房玄齢
ぼうげんれい
(578/579―648)

中国、唐の宰相。字(あざな)は喬(きょう)。斉州臨(せいしゅうりんし)(山東省)の人。代々北朝に仕え、学殖豊かで隋(ずい)代進士にあげられたが、唐が興ると李世民(太宗)の軍門に身を投じ、その片腕として働いた。626年太宗が即位すると中書令、ついで尚書左僕射(さぼくや)となったが、政治に明るく、公平な立場を貫いたので、杜如晦(とじょかい)とともに賢相とたたえられ、貞観(じょうがん)の治(ち)は彼らの力に負うところが大きかった。太宗の信任も絶大で、高句麗(こうくり)親征中は長安の留守役を命ぜられ、死後は太宗の昭陵に陪葬された。[谷川道雄]

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世界大百科事典内の房玄齢の言及

【杜如晦】より

…字は克明。唐初に秦王府参軍として太子李世民の幕下に入り,房玄齢の推挙で重用され,〈秦王十八学士〉の筆頭におかれた。李世民が即位して太宗となるや,尚書右僕射に任ぜられ,左僕射の房玄齢らと協力して〈貞観の治〉といわれる政治安定期を現出させた。…

※「房玄齢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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