房玄齢(読み)ボウゲンレイ

デジタル大辞泉 「房玄齢」の意味・読み・例文・類語

ぼう‐げんれい〔バウ‐〕【房玄齢】

[578~648]中国初の政治家。斉州・臨淄りんし山東省)の人。あざなは喬。太宗に仕えて15年にわたり宰相を務め、杜如晦とじょかいらとともに貞観の治基礎をつくった。文章家としても知られ、「晋書」の撰にもたずさわった。

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精選版 日本国語大辞典 「房玄齢」の意味・読み・例文・類語

ぼう‐げんれいバウ‥【房玄齢】

  1. 中国唐の政治家。字は喬。建国功臣。太宗即位後一五年間宰相の位にあって杜如晦とともに朝政をとり、「房謀杜断」と称せられた。文章家、書家としても知られる。(五七八‐六四八

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改訂新版 世界大百科事典 「房玄齢」の意味・わかりやすい解説

房玄齢 (ぼうげんれい)
Fáng Xuán líng
生没年:578-648

中国,唐初の名宰相,字は喬。斉州臨淄(りんし)(山東省)の人。隋末の混乱期に李世民幕下に入り,杜如晦(とじよかい)ともども〈秦王十八学士〉の筆頭におかれた。李世民が即位して太宗となるや,相位にあること15年,〈貞観の治〉とよぶ黄金時代を現出させた。大敗に終わった太宗の高句麗遠征には激しく反対した。杜如晦が決断に長じたのに対し,彼は企画に長じたとされ,唐の名相といえば,必ず〈房杜〉と並称された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「房玄齢」の意味・わかりやすい解説

房玄齢
ぼうげんれい
(578/579―648)

中国、唐の宰相。字(あざな)は喬(きょう)。斉州臨淄(せいしゅうりんし)(山東省)の人。代々北朝に仕え、学殖豊かで隋(ずい)代進士にあげられたが、唐が興ると李世民(太宗)の軍門に身を投じ、その片腕として働いた。626年太宗が即位すると中書令、ついで尚書左僕射(さぼくや)となったが、政治に明るく、公平な立場を貫いたので、杜如晦(とじょかい)とともに賢相とたたえられ、貞観(じょうがん)の治(ち)は彼らの力に負うところが大きかった。太宗の信任も絶大で、高句麗(こうくり)親征中は長安の留守役を命ぜられ、死後は太宗の昭陵に陪葬された。

谷川道雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「房玄齢」の意味・わかりやすい解説

房玄齢
ぼうげんれい
Fang Xuan-ling; Fang Hsüan-ling

[生]宣政1(578)
[没]貞観22(648).7.24. 坊州
中国,唐初の名相。字は喬松。山東臨 淄の人。 18歳で進士となり,隋に仕えたが,隋末の乱に挙兵した李淵 (→高祖) ,世民 (→太宗) 父子の勢力に加わり,謀臣として活躍。唐初は秦王世民のもとにあって人材の養成,推薦に努め,多くの名臣を集めた。世民が帝位についた貞観年間 (627~649) には宰相として重きをなし,杜如晦魏徴らとともに「貞観の治」をもたらすのに貢献した。のち「房杜」は名相の代名詞になった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「房玄齢」の解説

房 玄齢
ぼうげんれい

578〜648
唐初期の政治家
山東の人。18歳で進士となり,太宗に仕えて唐朝創立を助け,その即位後,15年間宰相をつとめた。杜如晦 (とじよかい) ・魏徴 (ぎちよう) らと貞観 (じようがん) の治といわれる盛世を築いた。

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世界大百科事典(旧版)内の房玄齢の言及

【杜如晦】より

…字は克明。唐初に秦王府参軍として太子李世民の幕下に入り,房玄齢の推挙で重用され,〈秦王十八学士〉の筆頭におかれた。李世民が即位して太宗となるや,尚書右僕射に任ぜられ,左僕射の房玄齢らと協力して〈貞観の治〉といわれる政治安定期を現出させた。…

※「房玄齢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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