院朝(読み)いんちょう

改訂新版 世界大百科事典 「院朝」の意味・わかりやすい解説

院朝 (いんちょう)

平安後期の仏師生没年不詳。院派仏師の系統院尊とともに院覚から継ぐ。1134年(長承3)院覚に従い,西院の故邦恒朝臣堂の定朝作丈六仏の寸法を測り,新仏造立の参考にしたことが知られる(《長秋記》)。当時〈仏の本様〉といわれた定朝様を詳細に実査してそれに倣おうとする態度が示されている。彼の現存作例はないが,定朝様の作風が想像される。39年(保延5)法金剛院塔の造仏により,法橋位を授かる。
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朝日日本歴史人物事典 「院朝」の解説

院朝

生年:生没年不詳
平安後期の院派系仏師。院助の子と伝えられる。『長秋記』には長承3(1134)年院覚の立ち会いのもと,定朝作として名高い西院・故邦恒朝臣堂の丈六仏の寸法を測り,新仏造立の参考にしたと記される。保延5(1139)年法金剛院の塔の造仏により院覚から法橋位を譲られた。康治1(1142)年の白河御所の半丈六阿弥陀三尊像,翌2年の藤原頼長による等身尊星王像,久寿2(1155)年の最勝金剛院・丈六阿弥陀像造立のことが伝えられるが,現存作品は知られていない。康治1年から久寿2年の間に法眼に,また永暦2(1161)年までに法印に叙せられた。院覚や院尊と並ぶ当代一流の院派系仏師で,後世,六条万里小路仏所の祖とされた。<参考文献>清水真澄「仏師院朝と吉中荘―仏師の荘官職と院派仏師系譜―」(『中世彫刻史の研究』)

(浅井和春)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「院朝」の解説

院朝 いんちょう

?-? 平安時代後期の仏師。
院助の子といわれる。保延(ほうえん)5年(1139)法金剛院塔の造仏で院覚から法橋(ほっきょう)位をゆずられる。康治(こうじ)元年白河御所の半丈六阿弥陀三尊像,久寿2年最勝金剛院の丈六阿弥陀如来像を制作。永暦(えいりゃく)2年までに法印となる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「院朝」の意味・わかりやすい解説

院朝
いんちょう

平安時代後期の院派の仏師。院助の子と伝えられ,六条万里小路仏所を創設したという。保延5 (1139) 年法金剛院宝塔の造仏賞により法橋となり,以後宮廷関係の造仏に従事して法眼,法印に叙された。

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