院助(読み)いんじょ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

院助
いんじょ

[生]?
[没]天仁1(1108).12.12.
平安時代後期の仏師。覚助の子。長勢の子とも伝えられる。後世,七条大宮仏所,いわゆる院派創始者とされる。造仏の功により法橋,のちに法眼に叙された。遺作はまだ知られていない。

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朝日日本歴史人物事典の解説

院助

没年:天仁1.12.12(1109.1.14)
生年:生年不詳
平安後期の院派系仏師。覚助の子または長勢の子とも伝えられる。のちに定朝七条仏所より分かれて七条大宮仏所を興す(院派の始まり。仏師の名が院の字で始まるのでこう呼ばれた)。承暦1(1077)年に白河天皇御願寺である法勝寺金堂の造仏に携わり,法勝寺薬師堂の丈六大威徳明王像の造仏の功で兼慶と共に法橋となる。また長治2(1105)年には,円勢と協力して堀河天皇の病気平癒のため公家御所の諸像を造立し,同年尊勝寺新堂の造仏の功績により法眼に上った。嘉承2(1107)年釈迦三尊像を制作,天仁1(1108)年には堀河天皇の法事のため阿弥陀三尊像を造立するなど,文献に多くの事跡が遺るが,現存する作品は知られていない。

(浅井和春)

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世界大百科事典 第2版の解説

いんじょ【院助】

?‐1108(天仁1)
平安時代の仏師。院派仏師の初代で,1077年(承暦1)白河天皇の御願寺法勝寺金堂の造仏に携わり,完成を待たずに死んだ覚助を継いで法橋位を授けられる。その後も皇家の仏像を造ることが多く,同じ法勝寺薬師堂の大威徳明王像や尊勝寺阿弥陀如来像,堀川天皇病気平癒のための釈迦三尊像などが記録の上から知られるが,現存する作品はない。【清水 真澄

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精選版 日本国語大辞典の解説

いんじょ ヰンジョ【院助】

藤原時代の仏師。定朝の子、また定朝の弟子長勢の子とも伝える。院派の七条大宮仏所の祖。法勝寺、尊勝寺の造像などその事績は文献によって知られるが、遺作そのものは知られていない。天仁元年(一一〇八)没。

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世界大百科事典内の院助の言及

【慶派】より

…鎌倉時代になり京都七条に仏所を置いたので,のちには七条仏所ともよばれた。覚助は父定朝に劣らぬ技能を備えていたらしいが,若年で没しており,その後をうけたのは定朝の弟子長勢,覚助の弟子院助であり,彼らは京都を中心に活躍する。覚助の子頼助は技術の上では院助より劣っていたらしく,中央では容れられず,早くから南都奈良に下って,祖父定朝以来関係の深かった興福寺の仏師となった。…

※「院助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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