中国,漢初の功臣。陽武(河南省原陽県付近)の人。貧農の家に育ったが読書を好み,みずからは労働しないで兄に扶養されていたという。陳勝が挙兵すると,初め魏咎(ぎきゆう)に仕えたが,讒言(ざんげん)にあって逃れ,項羽の軍に帰属して都尉(副将)に任ぜられた。しかし,ほどなく項羽の怒りをかって再び逃亡,漢に下って劉邦の護軍中尉(軍の監察官)となった。項羽と范増の仲を割いて楚軍に打撃を与えるなど,知謀によって漢の勝利に貢献した。漢の天下統一後も引き続き高祖の将となり,しばしば奇計を用いて韓信,陳豨(ちんき)らの謀反を討ち,曲逆(くぐう)(河北省保定市の南西)に封ぜられた。恵帝のときに左丞相となり,右丞相の王陵が呂后の専政を憤って死ぬと右丞相にうつった。呂后の政権下では多難であったがよく克服し,呂后が死去するや太尉の周勃(しゆうぼつ)と謀って呂氏一族を誅滅,文帝を擁立して劉氏政権を復興させた。文帝に仕えること2年にして死去,献侯と諡(おくりな)された。
執筆者:永田 英正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…要するに,黄老思想の成立は早くとも戦国末のことであったと考えられる。漢初には,〈黄老の術〉を治道のかなめに用いた曹参や,〈黄帝老子の術〉を愛した陳平など,秦の法術主義の反動として,〈清浄無為〉の政術を標榜する思想が有力なものとして存在した。このような黄老思想は,漢の武帝による儒教一尊体制の確立とともにすがたをけすが,その後〈黄老〉はひろく道家的哲理をさすことばとして用いられたほか,黄帝書は医学のなかに継承され,また後漢代には〈黄老君〉とよばれる神仙的な神格が生まれた。…
※「陳平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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