中国,漢初の功臣。沛(はい)(現,江蘇省沛県)の人。もと薄曲(葦で作る養蚕用のしきもの)を織ったり,葬儀のために簫(しよう)を吹くなどして生計を立てていた。劉邦が挙兵すると,中涓(ちゆうけん)(侍従官)となって従軍し,秦軍と戦って手柄があった。秦が滅んで,漢・楚の抗争が始まると将軍として活躍し,項羽を破って劉邦の勝利に貢献した。漢が天下を統一したのちも,将軍として高祖劉邦を助け,燕王臧荼(ぞうと)を討って絳侯(こうこう)に封ぜられ,また韓王信,陳豨(ちんき),廬綰(ろわん)らの反乱をことごとく平定し,高祖から後事を託せる人物と信頼された。高祖の死後は恵帝に仕え,太尉(軍の長官)に任ぜられた。呂氏の専制下では政治から疎外されていたが,呂后が死ぬと陳平とはかって呂氏一族を誅滅し,代王の劉恒(りゆうこう)を迎えて文帝とし,右丞相に就任した。陳平の死後,左丞相にうつり,一時謀反の嫌疑をかけられ獄につながれたが,薄(はく)太后のとりなしで放免され事なきをえた。その人柄は素朴で虚飾がなく,敦厚であったという。死後,武侯と諡(おくりな)された。
執筆者:永田 英正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ここで左肩をはだけるのは悲しみの姿態である。一方,中国では左肩を脱ぐことを袒(たん)または左袒といい,吉事にも凶事にも行ったが,前漢の将軍周勃が呂氏一族の乱を鎮めようとしたとき,軍中に令して呂氏のためにする者は右袒し,劉氏のためにする者は左袒せよと言ったところ,全軍皆左袒した(《十八史略》)ことから,それは味方することを意味するようになった。また,謝罪のため右肩をあらわにすることを肉袒という。…
※「周勃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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