日本歴史地名大系 「陸奥国分尼寺跡」の解説
陸奥国分尼寺跡
むつこくぶんにじあと
陸奥国分寺跡の東方七〇〇メートルの地にあり、現在の曹洞宗国分尼寺の境内およびその北側にかけての一帯が遺構。古くから同寺境内や付近の畑地、とくに観音塚と称される土壇を中心に古瓦が多量に発見されていた。昭和二三年(一九四八)国指定史跡となったが、無断建築物が建ち、同塚付近だけが辛うじて免れていた。塚は土壇上に六個の礎石が残るところから陸奥国分尼寺の金堂跡とみなされていた。同三九年の発掘調査によれば、土壇は版築により築かれた建物基壇であり、基壇上に桁行五間、梁行四間の東西棟礎石建物があったことが確認され、金堂と推定された。基壇中からは鎮壇のために埋設されたとみられる金箔片の入った土師器甕が出土したほか、基壇周辺からは僧寺とほぼ同種の瓦が多量に発見された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報