日本大百科全書(ニッポニカ) 「陸軍パンフレット問題」の意味・わかりやすい解説
陸軍パンフレット問題
りくぐんぱんふれっともんだい
1934年(昭和9)10月1日に発行された陸軍省新聞班のパンフレット「国防の本義と其(その)強化の提唱」をめぐって起きた政治問題。同パンフレットは「たたかひは創造の父、文化の母である」ということばに始まり、国防の優越性と国防国家建設の必要とを主張し、さらに緊迫する国際情勢に備えての軍備拡充、統制経済の採用、農山漁村の匡救(きょうきゅう)を力説していた。その特徴は、自由主義を排撃し、総力戦準備のための政治・経済・文化のファッショ的改造が大胆に提示されていた点にあった。これは、統制派の幕僚池田純久(すみひさ)少佐が国策研究会の矢次一夫(やつぎかずお)らの意見を取り入れ作成したもので、陸軍首脳の決裁を受けた統制派の国家改造構想のエッセンスであった。これに対し立憲政友会や立憲民政党は、軍部の露骨な政治干与として反発し問題となったが、社会大衆党の麻生久(あそうひさし)らは支持を与えた。またパンフレット発表以降、軍部の教育に対する介入が積極化し、この後「非常時」を掛け声とする思想攻勢は、翌年の天皇機関説事件、国体明徴運動でさらに強化された。
[粟屋憲太郎]