青年イタリア党(読み)せいねんいたりあとう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

青年イタリア党
せいねんいたりあとう
Giovine Italiaイタリア語

1831年7月、イタリアのマッツィーニが亡命地マルセイユで結成した政治結社。それは党員名と党活動については秘密組織であったが、従来の秘密結社に共通の位階制と神秘的儀式を排し、かつ運動目標を内外に明示する開かれた組織であった。最終目標はイタリアにおける統一共和国の樹立であり、その実現方法は教育と蜂起(ほうき)とであった。翌年春から機関紙『青年イタリア』がフランスで発行され、秘密裏にイタリアに持ち込まれた。この党の意義は、イタリア人民に依拠するイタリア独自の解放運動の展望を切り開いたことで、おもにこの点で、初期に協力関係にあったブオナローティの結社との対立も生じた。党は、古い他の結社員を吸収しつつイタリア北部と中部の青年層や兵士の間に広がり、33年ごろにはナポリ地方にまで影響を及ぼす一方、党員数も6万を数えた。しかし、蜂起を通じて民衆を組織しようとする党の運動方針から、民衆的背景を欠く無謀な反乱が企てられた。33年春のピエモンテにおける蜂起計画は事前に発覚して失敗に終わり、組織は大弾圧を被った。34年春のサボイア遠征の失敗を機に、この党の蜂起計画におびえたイタリア諸国の政府がこれまでにない厳しい弾圧に乗り出したため、党組織はほぼ全滅するに至ったが、40年代初めに再建された。再建後の運動の特徴は、マッツィーニの精神に共感しながらも中央の管理に反対する小組織がイタリアで増大したことと、党活動がおおむね政治教育に限定され、また労働者の組織化を目ざしたことである。1848年5月、マッツィーニは新しい国民組織創設のため青年イタリア党を正式に解散した。[重岡保郎]
『森田鉄郎著『マッツィーニ』(1972・清水書院)』

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