青木茂(読み)アオキ シゲル

20世紀日本人名事典 「青木茂」の解説

青木 茂
アオキ シゲル

大正・昭和期の児童文学作家



生年
明治30(1897)年3月30日

没年
昭和57(1982)年3月27日

出生地
東京市芝区麻布本村町(現・東京都港区)

学歴〔年〕
麻布中学校〔明治43年〕中退

主な受賞名〔年〕
技術院最高賞〔昭和19年〕,久留島武彦文化賞〔昭和49年〕

経歴
中学中退後、農園での花作りを生業としながら童話を書き、大正7年「詩人の夢」を発表し、9年「智と力兄弟の話」を刊行。昭和6年「児童文学」同人となり、19年「大空の鏡」を刊行。戦後も21年「大海口笛」を刊行し、25年NHKの連続ラジオドラマ「三太物語」で全国的に知名度を高めた。他の主な作品に「赤い心臓のミイラ」「三太の日記」などがある。なお、戦時中に町工場をつくり、金属化学技術の特技で技術院賞を受賞した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「青木茂」の意味・わかりやすい解説

青木茂
あおきしげる
(1897―1982)

児童文学作家。東京に生まれる。病弱のため麻布中学を2年で退学。1920年(大正9)から作品を『金の船』などの児童雑誌に発表。またメルヘン調の童話を集めた『智(イント)と力(パウ)兄弟の話』(1920)を出版、異色の童話作家として注目される。『かっぱの三太』(『赤とんぼ』1946年8月)を発表以後、わんぱくで明るい三太を主人公にした物語を書き、『三太物語』として筒井敬介(けいすけ)(1918―2005)の脚色で1950年(昭和25)からNHKラジオで放送された。

[向川幹雄]

『『日本児童文学大系 青木茂集他』(1977・ほるぷ出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木茂」の解説

青木茂(1) あおき-しげる

1897-1982 大正-昭和時代の児童文学作家。
明治30年3月30日生まれ。大正9年「智(イント)と力(パウ)兄弟の話」を出版,その後「赤い鳥」などに作品を発表。戦後「赤とんぼ」に発表した三太少年を主人公にしたシリーズは,NHK連続放送劇「三太物語」に脚色され,人気をえた。昭和57年3月27日死去。84歳。東京出身。麻布中学中退。著作ほかに「大空の鏡」「三太の日記」など。

青木茂(2) あおき-しげる

1922- 昭和後期-平成時代の経済学者,政治家
大正11年10月29日生まれ。生活経済学を専攻し,昭和42年愛知教育大教授。のち大妻女子大教授。58年サラリーマン新党を結成し,代表として参議院議員に比例区で当選。平成元年落選して党代表を辞任,のち社会民主連合にうつった。愛知県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「青木茂」の解説

青木 茂 (あおき しげる)

生年月日:1897年3月30日
大正時代;昭和時代の児童文学作家
1982年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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