赤とんぼ(読み)あかとんぼ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤とんぼ」の意味・わかりやすい解説

赤とんぼ
あかとんぼ

少年少女雑誌。1946年(昭和21)4月創刊、1948年10月終刊。実業之日本社発行。赤とんぼ会=大仏(おさらぎ)次郎川端康成(やすなり)、岸田国士(くにお)、豊島与志雄(とよしまよしお)、野上弥生子(やえこ)の編集者名があるが、おもに藤田圭雄(たまお)が担当した。藤田の筆になる創刊の辞によれば、赤い鳥運動の文芸復興を願ったもので、「児童文学の復興と、綴方(つづりかた)教育の再建」を目ざした。戦後児童文学の記念碑的作品『ビルマ竪琴(たてごと)』(竹山道雄)の連載は注目され、ケストナー『飛ぶ教室』の翻訳(高橋健二)、サトウ・ハチローの童謡も話題になった。綴方の選者には川端康成があたった。

[大藤幹夫]

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デジタル大辞泉プラス 「赤とんぼ」の解説

赤とんぼ〔イカ〕

青森県三沢市漁港で水揚げされるスルメイカ、三沢昼いかの別称名称は三沢産のイカに貼られる赤い飛行機ミス・ビードル号)のステッカーが赤とんぼに見えることから。同市は太平洋無着陸横断飛行の出発地となった地で、ミス・ビードル号はその時に使用された飛行機。

赤とんぼ〔唱歌〕

日本の唱歌題名作詞三木露風、作曲:山田耕筰。1921年に発表された三木の詩に1927年作曲。2007年、文化庁と日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定された。

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世界大百科事典(旧版)内の赤とんぼの言及

【銀河】より

…北畠八穂《ジロー・ブーチン日記》,壺井栄《あばらやの星》,椋鳩十《動物スケッチ》,平塚武二《ウイザード博士》,坪田譲治《ゆめ》,岡本良雄《ラクダイ横丁》,国分一太郎《雨ごいの村》,塚原健二郎《犬のものがたり》など多くの作品を生んだ。同じ時期の《赤とんぼ》(1946年4月~48年10月),《子供の広場》(1946年4月~50年5月),《少国民世界》(1946年7月~48年10月?),《少年少女》(1948年2月~51年12月)などとともに戦後の良心的児童雑誌として評価されたが,これらの雑誌は1950年代初めまでにすべて廃刊となり,大衆的な娯楽誌に席を譲った。【冨田 博之】。…

【児童雑誌】より

… 昭和初期には,プロレタリア児童誌《少年戦旗》(1929)が生まれたが,すぐ廃刊になり,1937年の日中戦争を境にして児童雑誌も徐々に統制され,44年には《日本ノコドモ》《良い子の友》《少国民の友》《少年俱楽部》《少女俱楽部》の5誌だけになった。 第2次世界大戦後は,《赤とんぼ》《子どもの広場》《銀河》(1946),《少年少女》(1948)などの文芸的に質の高い良心的雑誌がせきを切ったように創刊されたが,50年までにはみな廃刊となり,かわって《おもしろブック》《少年》《少女》《漫画少年》など一連の新しい大衆娯楽雑誌がつぎつぎに登場した。そしてテレビの発達とともに,〈読む〉雑誌から〈見る〉雑誌へ,月刊から週刊へと移りかわり,現在では,児童雑誌といえば学年別月刊誌以外はほとんどが週刊劇画雑誌で,年齢を問わず,幅広く読まれている。…

【山田耕筰】より

…しかし同年9月近衛秀麿ら多くの主要な団員が脱退したために再度挫折せざるをえなかった。27年から自作の《童謡百曲集》を出版,この中に《赤とんぼ》《からたちの花》《この道》《あわて床屋》など彼の有名な童謡の多くが収録されている。 30年代以降,山田の音楽的関心はおもにオペラと映画音楽に向けられる。…

※「赤とんぼ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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