青物町(読み)あおものちよう

日本歴史地名大系 「青物町」の解説

青物町
あおものちよう

[現在地名]中央区日本橋一丁目

よろず町の東にある。南東中みなみひがしなか通の東側、とおり一丁目北から東の海賊かいぞく橋へ抜ける街路に沿う両側町。北は江戸橋広小路の蔵地、東は本材木ほんざいもく町一丁目。天正一八年(一五九〇)徳川氏入国の際、小田原の曾我小左衛門を名主として小田原城下青物町を当地に移して町立てされた(東京府志料)。国会図書館蔵寛永江戸図には「あを物丁」とみえている。安永三年小間附町鑑によれば京間九四間で、公役金を納めた。西河岸にしがし町の千柄清右衛門支配。河岸が近いことから北と東に有力商人の店が並んだ。文政七年(一八二四)江戸買物独案内には糸物・苧麻問屋村瀬屋勘兵衛、塗物問屋会津屋徳兵衛、鰹節塩干肴問屋栖原屋平八、下り蝋燭木綿問屋・呉服太物所槌屋幸助、蝋燭問屋網屋源六、紅白粉・小間物商藤屋藤助、水油仲買丸屋徳三郎、地下り雪駄問屋の伊賀屋喜右衛門がみえ、江戸買物独案内の板元大坂中川芳山堂の出店が藤屋藤助の店に同居していた。


青物町
あおものちよう

[現在地名]小田原市ほん町二丁目・はま町三丁目

高梨たかなし町の北、一丁田いつちようだ町の南、東海道から北に分れる甲州道沿いの脇町。「風土記稿」は町名は古の野菜市に由来するという。戦国時代の成立か。「永代日記」延宝三年(一六七五)九月一一日条の町人喧嘩に「青物町川本一郎兵衛」とみえる。貞享二年(一六八五)本人足役一四人分を負担する(「小田原町明細書上」県史九)。宝暦年間(一七五一―六四)の小田原藩賄方の甲州屋久五郎・樋口屋藤兵衛(「網漁場一件覚」足柄下郡真鶴町田広文書)、安政六年(一八五九)府川ふかわ村に林を所持する熊沢屋清七(「歎願書之控」県史五)などがおり、商人町の色彩が濃く、旅籠はない(城下町宿場町小田原図)


青物町
あおものちよう

[現在地名]盛岡市仙北せんぼく一丁目・西仙北にしせんぼく一丁目

仙北町の西の三町半ほどの町人町(盛岡砂子)。幕末の城下図(葛西氏旧蔵)によれば、西は七軒しちげん丁から向中野むかいなかの(のちの沢内街道の一ルート)に接続し、南は向中野村、北は北上川に接する。「盛岡砂子」には、かつてしん小路と称したとあり、仙北町より後に開かれたことを示している。元文城下図にも新小路とみえ、文化九年(一八一二)諸丁並に格上げされ、青物丁と改称(御家被仰出・盛岡砂子)。町名は北上川河岸の肥沃畑地を控え、城下への野菜の供給地であったことに由来するという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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