現代中国で行われた闘争。新中国成立当初,中国共産党の指導の下で資本主義商工業は迅速な回復と発展をとげた。当時資本主義経済は国家の経済と人民の生活に対して有利な面と否定面の両面を備えていた。しかし,資本主義経済の発展につれてブルジョア階級は利潤追求に貪欲となり,暴利をはかり,脱税を行い,国家の資財を盗むなどの消極面が顕著となり,全国人民の憤りを引きおこした。こうした動きに対して三反五反運動が行われた。〈三反〉運動とは政府機関,軍隊,学校,国営企業で進められた汚職,浪費,官僚主義に反対する闘争をさし,〈五反〉運動は私営商工業で進められた贈賄,脱税,国家資財の窃取,手間ぬきと材料のごまかし,国家の経済情報の窃取に反対する国民運動をさす。〈三反〉運動は1951年末に開始され,〈五反〉運動も52年初期から開始され,両運動は52年夏ごろに終了した。この運動はブルジョア階級のプロレタリア階級に対する攻撃を排除し,人民政府と人民大衆の連係を深め,仕事の作風を改め,資本主義商工業の社会主義改造に有利な条件を作りだし,人民民主独裁と国営経済の指導的地位を強固にするうえで重要な役割を果たした。
執筆者:斉藤 節夫
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三反運動は中国共産党党内の腐敗防止キャンペーン。共産党が政権を獲得したのに伴い,幹部の腐敗や規律の乱れが増大。党中央は1951年末に「三反」(汚職,浪費と官僚主義への反対)運動を推進し,腐敗を取り除き,綱紀粛正を図ろうとした。だが,党内規定と法律に依拠するのではなく,高圧的手段を使ったために,無実の幹部まで傷つけた。五反運動は,私営企業を対象とする違法経営摘発のキャンペーン。三反運動で,汚職事件の一部に私営工商業の経営者が関連したことがわかると,党中央は1952年に「五反」(贈賄,脱税,国家資材の横領,手抜きと材料のごまかし,国家の経済情報の窃取(せっしゅ)に対する反対)運動を推進。各地方当局は私営企業に幹部を送り込み,労働者,職員を動員して経営者の経済犯罪,違法経営の摘発を進めた。それによって,多くの私営企業は経営管理が混乱し,「不法取得」の国への返還も経営を圧迫し,再び政府の救済措置に頼って生き残りを図らざるをえなかった。
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中華人民共和国建国直後の社会改造運動で、いわゆる社会主義改造に向けての道徳的・思想的な基礎をつくった。三反とは、貪汚(どんお)・浪費・官僚主義に反対することである。1951年10月の人民政治協商会議第3回全国委員会の決定によって、同年12月から翌52年6月まで、おもに政府機関、公営企業、軍隊、学校で全国的に展開されたこの運動は、旧中国の特性でもあったこの「三害」を駆逐するためのものであった。三反運動の展開過程で、さらに、当時まだ存在していた私営工商業の内部の「五害」すなわち、贈収賄、脱税、国家資材の横領、原料手間のごまかし、国家経済情報の盗みとりに反対する五反運動が開始され、1952年いっぱい展開された。三反五反運動は、旧社会の思想や残滓(ざんし)を一掃するための思想改造運動・人間改造運動であったが、このことは一方において、中国社会内部に政治的・社会的緊張を生み出した。
[中嶋嶺雄]
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