三反五反運動(読み)サンパンゴハンウンドウ(その他表記)Sān fǎn wǔ fǎn yùn dòng

デジタル大辞泉 「三反五反運動」の意味・読み・例文・類語

さんぱんごはん‐うんどう【三反五反運動】

中国で、1951年から1952年にかけて展開された、公務員汚職浪費官僚主義の三害および資本家贈収賄脱税国家財産の横領材料手間のごまかし、国家の経済情報の窃取の五毒に対する反対運動。

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精選版 日本国語大辞典 「三反五反運動」の意味・読み・例文・類語

さんぱんごはん‐うんどう【三反五反運動】

  1. 中華人民共和国成立後、一九五一年末から五二年にかけて、中国共産党の指導のもとに展開された社会改革運動。三反とは国家公務員の汚職・浪費・官僚主義に反対することで、五反とは資本家の贈賄、脱税、国家資財の窃取、手間抜きと材料のごまかし、国家の経済情報の窃取に反対することをいう。この運動により、新政府は人民大衆との連係を深め、社会主義革命に向けての思想的・道徳的基盤を固めた。

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改訂新版 世界大百科事典 「三反五反運動」の意味・わかりやすい解説

三反五反運動 (さんはんごはんうんどう)
Sān fǎn wǔ fǎn yùn dòng

現代中国で行われた闘争。新中国成立当初,中国共産党の指導の下で資本主義商工業は迅速な回復と発展をとげた。当時資本主義経済は国家の経済と人民の生活に対して有利な面と否定面の両面を備えていた。しかし,資本主義経済の発展につれてブルジョア階級は利潤追求に貪欲となり,暴利をはかり,脱税を行い,国家の資財を盗むなどの消極面が顕著となり,全国人民の憤りを引きおこした。こうした動きに対して三反五反運動が行われた。〈三反〉運動とは政府機関,軍隊,学校,国営企業で進められた汚職,浪費,官僚主義に反対する闘争をさし,〈五反〉運動は私営商工業で進められた贈賄,脱税,国家資財の窃取,手間ぬきと材料のごまかし,国家の経済情報の窃取に反対する国民運動をさす。〈三反〉運動は1951年末に開始され,〈五反〉運動も52年初期から開始され,両運動は52年夏ごろに終了した。この運動はブルジョア階級のプロレタリア階級に対する攻撃を排除し,人民政府と人民大衆の連係を深め,仕事の作風を改め,資本主義商工業の社会主義改造に有利な条件を作りだし,人民民主独裁と国営経済の指導的地位を強固にするうえで重要な役割を果たした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三反五反運動」の意味・わかりやすい解説

三反五反運動
さんはんごはんうんどう
San-fan wu-fan yun-dong

中華人民共和国成立 (1949) 後の中国で行われた,最初の大規模な整風運動。三反運動とは中国共産党,政府機関,学校,軍隊,公営企業などにおける職員,労働者,党員の一部に存在する官僚主義,汚職,浪費の3つの害毒 (三害) に反対する国民運動で,1951年 10月の人民政治協商会議第1回全国委員会第3次会議における毛沢東の呼びかけを契機に,同年 12月から全国的に展開された (東北では9月から実施) 。 52年1月の三反運動報告大会以後,五反運動に発展。五反運動とは,党員,政府職員と結びついた資本家による贈賄,脱税,国家資材の横領,手抜きと材料のごまかし,国家の経済情報の漏洩の5つの害毒 (五毒) に反対する運動で,同年6月頃まで続いた。これら一連の運動は,国民経済復興期の政治,経済建設を締めくくって,53年から始る3つの5ヵ年計画から成る大規模な社会主義建設の展開にそなえて,人民民主政権における労働者階級の指導をさらに強化して,建設の進展を妨げる一部の資本家に打撃を加えることを目的としたものであった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「三反五反運動」の解説

三反・五反運動(さんはん・ごはんうんどう)

三反運動は中国共産党党内の腐敗防止キャンペーン。共産党が政権を獲得したのに伴い,幹部の腐敗や規律の乱れが増大。党中央は1951年末に「三反」(汚職,浪費と官僚主義への反対)運動を推進し,腐敗を取り除き,綱紀粛正を図ろうとした。だが,党内規定と法律に依拠するのではなく,高圧的手段を使ったために,無実の幹部まで傷つけた。五反運動は,私営企業を対象とする違法経営摘発のキャンペーン。三反運動で,汚職事件の一部に私営工商業の経営者が関連したことがわかると,党中央は1952年に「五反」(贈賄,脱税,国家資材の横領,手抜きと材料のごまかし,国家の経済情報の窃取(せっしゅ)に対する反対)運動を推進。各地方当局は私営企業に幹部を送り込み,労働者,職員を動員して経営者の経済犯罪,違法経営の摘発を進めた。それによって,多くの私営企業は経営管理が混乱し,「不法取得」の国への返還も経営を圧迫し,再び政府の救済措置に頼って生き残りを図らざるをえなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三反五反運動」の意味・わかりやすい解説

三反五反運動
さんはんごはんうんどう

中華人民共和国建国直後の社会改造運動で、いわゆる社会主義改造に向けての道徳的・思想的な基礎をつくった。三反とは、貪汚(どんお)・浪費・官僚主義に反対することである。1951年10月の人民政治協商会議第3回全国委員会の決定によって、同年12月から翌52年6月まで、おもに政府機関、公営企業、軍隊、学校で全国的に展開されたこの運動は、旧中国の特性でもあったこの「三害」を駆逐するためのものであった。三反運動の展開過程で、さらに、当時まだ存在していた私営工商業の内部の「五害」すなわち、贈収賄、脱税、国家資材の横領、原料手間のごまかし、国家経済情報の盗みとりに反対する五反運動が開始され、1952年いっぱい展開された。三反五反運動は、旧社会の思想や残滓(ざんし)を一掃するための思想改造運動・人間改造運動であったが、このことは一方において、中国社会内部に政治的・社会的緊張を生み出した。

[中嶋嶺雄]

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百科事典マイペディア 「三反五反運動」の意味・わかりやすい解説

三反五反運動【さんぱんごはんうんどう】

中国で1951年末―1952年春に行われた,中国共産党・政府機関・学校・公私営企業等の中の腐敗・害毒の追放・清浄化運動。三反運動は共産党員と政府官吏の間から起こり,汚職・浪費・官僚主義の三悪に反対した。運動の過程で,三悪の根源には資本家的不正があることが明らかとなり,ブルジョアジーの贈賄・脱税・国家資財の横領・原料のごまかし・国家経済情報の窃取の五罪悪に反対する労働者階級の五反運動に発展した。1949年―1952年の国民経済復興期の政治・経済建設の総括としての意味をもった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「三反五反運動」の解説

三反五反運動
さんぱんごはんうんどう

1951〜52年に中国で行われた刷新運動
三反とは公務員の官僚主義・汚職・浪費の3害に反対する運動であり,五反とは資本家階級の贈賄,脱税,国家資材の横領,原料や加工の手抜き,国家の経済情報の窃取 (せつしゆ) など5害に反対する運動。労働者階級が主力となり,摘発や糾弾闘争に参加した。

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