頭陀寺(読み)ずだじ

日本歴史地名大系 「頭陀寺」の解説

頭陀寺
ずだじ

[現在地名]浜松市頭陀寺町

青林山と号し、高野山真言宗本尊薬師如来。大宝三年(七〇三)円空の創建で、長保年間(九九九―一〇〇四)に現在の寺域に移ったという。「三代実録」貞観五年(八六三)八月二日条に「遠江国頭陀寺」とみえ、定額寺に加えられている。嘉応三年(一一七一)二月日の池田庄立券状写(松尾大社文書)によれば、京都仁和寺観音院末の頭陀寺領川勾かわわ(河勾庄)松尾大社(現京都市西京区)池田いけだ庄との境相論があった。川勾庄は天竜川河口を占め、当寺の経済的基盤となっていた。建久三年(一一九二)八月二七日の守覚法親王御教書(仁和寺文書)によれば、頭陀寺庄の存在が知られる。また京都仁和寺の地主神とされる福王子ふくおうじ神社(現京都市右京区)の地に頭陀寺があったとされ、当寺との関係が推測できる。


頭陀寺
ずだじ

[現在地名]川俣町飯坂 頭陀寺

飯坂いいざかの西部山中、じようくら城跡北東にある県北地方最古の曹洞宗古刹。鶏足山と号し、本尊釈迦如来。貞治五年(一三六六)曹洞宗恕仲、物外派の月窓正印の弟子泰山祥安が、師の法兄である栽松青牛を招いて開いたものという。桜田家発端略書(桜田家文書)によると、応仁二年(一四六八)、文明元年(一四六九)河俣かわまた(城ノ倉城)の二度の合戦で、守城勢の分駐兵が頭陀寺に陣したといい、河俣城の外郭的な役割を果したとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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