松尾大社(読み)まつのおたいしゃ

精選版 日本国語大辞典 「松尾大社」の意味・読み・例文・類語

まつのお‐たいしゃ まつのを‥【松尾大社】

京都市西京区嵐山宮町にある神社。旧官幣大社。祭神は大山咋(おおやまくい)神、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。上代、松尾山にまつられ、大宝元年(七〇一)秦忌寸都理(はたのいみきとり)がふもとの現在地に社殿を建てて移し、同氏の氏神にしたと伝えられる。平安京の鎮護の神とされ、東の厳神といわれた賀茂社に対し西の猛霊と称される。昭和二五年(一九五〇松尾神社を現社名に改めた。酒造の神とされる。

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デジタル大辞泉 「松尾大社」の意味・読み・例文・類語

まつのお‐たいしゃ〔まつのを‐〕【松尾大社】

京都市西京区にある神社。旧官幣大社。祭神は大山咋神くいのかみ市杵島姫命いちきしまひめのみこと。大宝元年(701)秦都理はたのとりの創建といわれ、平安京守護の神社。酒造の神として信仰される。

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日本歴史地名大系 「松尾大社」の解説

松尾大社
まつおたいしや

[現在地名]西京区嵐山宮町

松尾山を西に負い、前面にかつら(保津川)を隔てて京都盆地が展開する。「延喜式」神名帳に載る葛野かどの郡の「松尾マツノヲノ神社二座並名神大、月次相嘗新嘗」とある社で、祭神は大山咋おおやまくい神と市杵島姫いちきしまひめ命。本朝二十二社の一。旧官幣大社。昭和二五年(一九五〇)松尾神社の称を松尾大社と改める。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔開創伝承〕

大山咋神は「古事記」に「亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑なりかぶらを用つ神ぞ」と記される。伝説では、丹波国が太古湖であった時、大山咋神が保津ほづ峡を用いて大堰おおい川を通じ、その土を分けてかめ山・荒子あらこ山を作り、丹波の亀岡かめおか盆地を沃土とし、松尾山に鎮座して山城・丹波の開発に努めたという。四世紀前後に渡来系氏族の秦氏が朝廷の招きで葛野郡に移住、土地を開発したことを物語る伝承とみられる。ところで「古事記」の「鳴鏑」の記事は、丹塗の矢の精から出生したという意味で、秦氏本系帳(本朝月令)には「初め秦氏の女子、葛野河に出で、衣裳を澣濯す。時に一矢あり。上より流下す。女子これを取りて還り来、戸上に刺し置く。ここに女子、夫なくして姙む。既にして男児を生む。(中略)戸上の矢は松尾大明神これなり。(中略)而して鴨氏人は秦氏の聟なり」(原漢文)と記される。同様の伝承は大和の大神おおみわ神社(現奈良県桜井市)、山城国愛宕おたぎ郡の賀茂別雷かもわけいかずち神社(上賀茂社)にもあり、古代神婚譚の一種である。愛宕郡では鴨県主の子孫が賀茂の社家を継いだように、葛野郡の地では渡来人の秦氏が勢力を振るった。伝承が賀茂と共通性をもつばかりか祭祀も似通い、かつ大山咋神は賀茂別雷神の父神にあたる。市杵島姫命は宗像三女神の一で、古来海上守護の神徳ありとされ、安芸の厳島神社の祭神でもあるが、秦氏の大陸系氏族としての性格から合祀されたと考えられる。

〔王城鎮護の社〕

文献では「本朝文集」に、大宝元年(七〇一)秦忌寸都里が社殿を営んでその女の知満留女を斎女として奉仕させたとみえ、天平二年(七三〇)には大社の称号を朝廷から許されている。このように秦氏の総氏神とされた松尾神社は、やがて朝廷守護神の格を与えられる。延暦三年(七八四)一一月二〇日、桓武天皇長岡京への遷都を当社に奉告、「続日本紀」に「叙尾乙訓二神従五位下、以テナリ 遷都也」とある。ほどなく平安京に都が遷されると、王城鎮護の社として東の賀茂(上・下の両社)、西の松尾が並び称された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松尾大社」の意味・わかりやすい解説

松尾大社
まつのおたいしゃ

京都市西京区嵐山(あらしやま)宮町に鎮座。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)(市杵島(いちきしま)姫命)の二柱を祀(まつ)る。大山咋神は『古事記』に「葛野(かどの)の松尾に坐(いま)す鳴鏑(なりかぶら)に成りませる神」とある。本社の創祀(そうし)は文武(もんむ)天皇701年(大宝1)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が社殿を初めて造営したというが、秦氏以前からこの地に奉斎神があったようである。秦氏は養蚕や機織(はたおり)の技術に優れ、山城(やましろ)(京都府)地域の開発に貢献した氏族である。『延喜式(えんぎしき)』の名神(みょうじん)大社で、臨時祭の祈雨の奉幣にあずかり、二十二社奉幣の上七社に加えられている。一条(いちじょう)天皇以後、行幸啓も多く、866年(貞観8)には正一位に累進し、賀茂が東の厳神(げんしん)というのに対して、松尾は西の猛霊(もうれい)とよばれて尊崇された。貞観(じょうがん)年間(859~877)から始まったといわれる松尾祭(まつおさい)には、山城国司、葛野郡司らも参候した。江戸時代には、累代の徳川将軍家から九百余石の朱印を安堵(あんど)され、社運が隆盛となった。1871年(明治4)官幣大社に列した。本社は酒造の神としての信仰が厚く11月上卯(かみのう)日には醸造の平安を祈る上卯祭、4月中酉(なかのとり)日にはその完了を感謝する中酉祭が行われる。社の背後の雷峰(いかずちみね)、松尾山を含む約12万坪(3960アール)が境内で、その全域が風致地区に指定されている。現今の例祭は4月2日で、4月20日以後の第2日曜には神輿(みこし)の出御祭、そののち21日目に還御祭がある。松尾七社とよばれる大宮社、四大神社、衣手(ころもで)社、三宮(さんのみや)社、宗像(むなかた)社、櫟谷(いちだに)社、月読(つきよみ)社の各社の神輿(月読社は唐櫃(からびつ))の還御には葵(あおい)の蔓(つる)で飾るところから葵祭ともよばれている。

 本殿(国重要文化財)は正面三間、側面四間の身舎と、さらに正面三間の向拝よりなる両流(りょうながれ)造で、1397年(応永4)造営、1550年(天文19)の再建と伝えられている。宝物の男神坐像(ざぞう)二体、女神坐像一体は、いずれも平安時代の作で、国重要文化財に指定されている。重森三玲(しげもりみれい)作(1975)の昭和の新庭園「松風苑(しょうふうえん)」は有名である。

[加藤隆久]

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改訂新版 世界大百科事典 「松尾大社」の意味・わかりやすい解説

松尾大社 (まつのおたいしゃ)

京都市西京区に鎮座。旧官幣大社。祭神は大山咋(おおやまくい)神と市杵島姫(いちきしまひめ)命。大山咋神は近江の比叡山と山城松尾山に鎮座しいずれも鳴鏑(なりかぶら)の神といわれ,山城では上古,松尾分土山大杉谷にまつられていた。市杵島姫命は宗像(むなかた)の神で701年(大宝1)秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請し,以後その子孫が両神をまつることになり,平安京遷都以後は賀茂社とならび帝都の守護神とあがめられた。866年(貞観8)正一位の神階に達し,《延喜式》では名神大社に列し,官幣にあずかり,一条天皇以後行幸およそ10度に及んだ。江戸時代には幕府より米290余石,銀1貫800目の祭祀料が献ぜられ,900余石の朱印を与えられた。酒造神として知られる。摂社の月読神社も《延喜式》で名神大社の扱いをうけ,安産守護の神としてまつられる。櫟谷(いちだに)神社は式内社で宗像神社とともに嵐山のふもとにあり,平安初期葛野鋳銭司に近く,新鋳銭を奉られたことがある。

 平安前期に始まった神幸祭は4月下卯日,還幸祭は5月上酉日で渡御祭には摂末社合わせて7社(大宮,四大神,衣手,三宮,宗像,櫟谷,月読)の神輿が出て桂川の渡河の儀を行う。還幸祭には神輿,供奉員等が葵(あおい)をつけることから葵祭とも呼ばれる。なお,当社所蔵の木造男神像2体,女神像1体は平安初期の優作で,最古の神像彫刻の一つとみられており,ともに重要文化財。また多数の貴重な社家文書を伝えている。
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百科事典マイペディア 「松尾大社」の意味・わかりやすい解説

松尾大社【まつのおたいしゃ】

京都市西京区嵐山宮町に鎮座。旧官幣大社。大山咋(おおやまくい)命・中津島(なかつしま)姫命をまつる。702年秦氏により社殿が造られたと伝える。賀茂社とならんであがめられ,延喜式内の名神大社。例祭は4月2日。ほかに神幸祭(4月20日以後の最初の日曜日),御田植祭(7月23日)などがある。酒造の神として広く信仰される。日本の神像では最古に属する古神像などがある。
→関連項目池田荘雀部荘東郷荘西京[区]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「松尾大社」の解説

松尾大社
まつのおたいしゃ

「まつお」とも。松尾神社とも。京都市西京区嵐山宮町に鎮座。式内社・二十二社上社。旧官幣大社。祭神は大山咋(おおやまくい)神・市杵島姫(いちきしまひめ)命。701年(大宝元)の創建と伝えるが,背後の神体山には磐座(いわくら)があり,開発神・農業神としての原始信仰に由来するか。この地域を開発した秦(はた)氏が奉斎し,神職を世襲。平安遷都に際して西の鎮護神とされ,866年(貞観8)正一位に昇った。葛野(かどの)郡の郡神,桂川の神ともされ,近世以降は酒の神として信仰を集めた。例祭は4月2日(以前は4月上申の日)。1550年(天文19)再建の本殿と,日本最古といわれる平安初期の男女の神像3体が重文。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松尾大社」の意味・わかりやすい解説

松尾大社
まつのおたいしゃ

京都市西京区嵐山宮町に鎮座する元官幣大社。祭神はオオヤマクイノカミ,ナカツシマヒメノミコト。もと松尾山に祀ってあったものを,太宝1 (701) 年に秦氏により現在地に社殿が造られたと伝える。平安遷都以後は賀茂別雷神社とともに,新京鎮護社となった。また酒造の神として広く信仰されている。例祭4月2日。

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デジタル大辞泉プラス 「松尾大社」の解説

松尾(まつのお)大社

京都府京都市西京区にある神社。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)(中津島姫命の別称)。延喜式内社。本殿は国の重要文化財。昭和の庭園「松風苑」も有名。

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世界大百科事典(旧版)内の松尾大社の言及

【清酒】より

麴(こうじ)
[来歴]
 《播磨国風土記》にはカビの生えた乾飯(かれいい)で酒をかもしたという伝承が記載されており,日本では8世紀初頭すでに酒造にこうじが用いられていたことをうかがわせる。古来,酒造の神として信仰を集めてきたのは奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社,京都市の梅宮(うめのみや)大社,松尾(まつのお)大社の3社であった。このうち松尾大社は朝鮮からの渡来氏族秦(はた)氏の氏神として701年奉斎されたが,5世紀後半ころこの地に秦の民が集められたさい伴造(とものみやつこ)に任ぜられた秦酒公(さけのきみ)は酒造技術者であったと考えられ,彼らの指導が古代日本の酒造を育成したと考えられる。…

※「松尾大社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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