頼岳寺(読み)らいがくじ

日本歴史地名大系 「頼岳寺」の解説

頼岳寺
らいがくじ

[現在地名]茅野市ちの 上原

上原うえはら村の北部、金比羅こんぴら(上原城跡)の西麓台地にある。山号は少林山。曹洞宗で、本尊釈迦如来大門道だいもんみちに沿い、南ははるかに富士山を望み、西北には諏訪湖眼下にながめ、正面には平坦地を隔てて諏訪大社上社に対する。

高島藩初代藩主諏訪頼水を開基とし、かつて上州惣社時代に参禅した白井しらい(現群馬県甘楽郡下仁田町)の双林寺一三世大通関徹禅師が寛永七年(一六三〇)招かれて開山となった。中国の少林寺(禅宗の寺)の「少林」を山号とし、頼水までの諏訪氏の長の「頼」の字をとって頼岳寺と名付けたといわれる。廟所には頼忠(永明寺殿晃山宗湖大庵主)夫人理昌院(理昌院殿玉栄貞珠大姉)と頼水(頼岳寺殿昊窓映林大居士)の墓があり、寺内には大祝家や二之丸家家老その他上級藩士の墓地も多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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