飯野吉三郎(読み)イイノ キチサブロウ

20世紀日本人名事典 「飯野吉三郎」の解説

飯野 吉三郎
イイノ キチサブロウ

明治・大正期の宗教家,神道行者



生年
慶応3年(1867年)

没年
昭和19(1944)年2月3日

出生地
岐阜県

経歴
長野県飛驒山中で神道修行、行者として上京、加持祈禱信者が集まった。明治37年満州に渡り、38年3月10日の奉天大会戦など戦局予言し、児玉源太郎大将の信任を得た。日露戦後、児玉の紹介で山県有朋伊藤博文ら軍官民有力者に知遇され、大正年間、東京渋谷区穏田に大邸宅を構え、“穏田の行者”と敬われた。宮中に出仕し、皇室の信任厚かった女子教育者・下田歌子と結んで貞明皇后の信頼を得、皇太子(昭和天皇)の外遊問題に介入した。大正14年政争がらみの詐欺汚職事件で失脚した。松本米次郎の「怪行者と妖婦征伐記」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「飯野吉三郎」の意味・わかりやすい解説

飯野吉三郎 (いいのきちさぶろう)
生没年:1867-1944(慶応3-昭和19)

明治・大正期の神道行者。通称穏田の行者。岐阜県出身。東京渋谷穏田に住み,祈禱,予言で信者を集めた。予言を通じて山県有朋,伊藤博文,清浦奎吾らの知遇を得,政財界の上層部に信者をもち,隠然たる勢力をもった。また華族女学校の創立者で〈明治の紫式部〉と呼ばれた下田歌子と結んで皇室にも影響を及ぼし,皇太子の外遊問題にも介入して〈日本のラスプーチン〉とも呼ばれた。1925年詐欺汚職事件に関係して失脚した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯野吉三郎」の解説

飯野吉三郎 いいの-きちさぶろう

1867-1944 明治-大正時代の行者。
慶応3年生まれ。東京渋谷穏田(おんでん)にすみ,祈祷(きとう)と予言で信者をあつめる。伊藤博文,清浦奎吾(けいご),下田歌子らに信頼され皇室にも影響をおよぼし,日本のラスプーチンとよばれたが,大正14年詐欺事件に関与し失脚した。昭和19年2月3日死去。78歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。通称は穏田の行者。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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