馬伏村(読み)ばぶしむら

日本歴史地名大系 「馬伏村」の解説

馬伏村
ばぶしむら

[現在地名]渥美町馬伏

東は江比間えひま村、西は石神いしがみ村、北は伊川津いかわづ村、南は村松むらまつ村の各村と隣接する。富田常業の「引馬野考」(三河雑鈔)に「馬伏まふし村は稲生磯いなふしの義歟、礒をしと云る事、志摩国タフシ又高し細し明しなと、みな礒をシと云り」とある。「三河国名所図絵」に「鰐口 古此村の山間にて鐘と鰐口とを掘出せしに、鐘をば禁庭に奉り鰐口をば産土神に奉納せしとそ。今の鰐口則其也と云伝ふ。掘出せし処は村松より西南にて今馬伏村の地にて名草と云処の小川に柳七八本立し所にて、今其処の字をカネホリと云り。(中略)其辺に字ゴキデンと云田ありて、昔御器を三つ掘出せりと云り。今も其田たゞ人の作れば祟ありとて社人作れりと云り」とある。


馬伏村
まぶしむら

[現在地名]柵原町宮山みややま

宮山村の北西に位置する山間の村。同村からの分郷であるが、その時期は未詳(東作誌)正保郷帳に村名がみえ、田九三石余・畑三〇石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高二四石余・開高五石余、村位は下。津山藩森氏断絶後の領主変遷上間うわま村と同様。「東作誌」によれば毛付高一三五石余、家数三〇、男六七・女五〇。山林四町六反余、溜池二ヵ所。出雲往来勝間田かつまだ宿(現勝田郡勝央町)助郷を勤め、文化一一年(一八一四)の出雲松江藩主の通行に際しては人足二人、勝山藩主・備中新見藩主の際は入用合せて一匁余を負担している(「助合村々書上帳」赤堀文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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