日本歴史地名大系 「高家村」の解説
高家村
たけいむら
高家村
こうかむら
西は南・北の八代村に境を交え、北西は
高家村
こうけむら
高家村
たいえむら
とある「高屋」を「大和志」は当村とする。
慶長四年(一五九九)「たいゑ村」のうち二〇〇石が落合藤右衛門、三〇〇石が一柳茂左衛門に宛行われたことが次の毛利家文書で判明する。
関ヶ原戦後の慶長郷帳では「田永村」とみえ村高五五八・一九石。うち三〇〇石は一柳茂左衛門領、二五八・一九石は五条二見藩(松倉重政)領の相給村。元和郷帳では旧一柳氏領は疋田右近領となり、五条二見藩領は松倉氏の国替で幕府領(代官宗岡弥右衛門)となっており、村名も「高家村」とみえる。元和五年(一六一九)疋田右近領は津藩(藤堂高虎)領となり、幕府領は郡山藩(松平忠明)領となり、依然相給村であった。
高家村
たいえむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報