日本大百科全書(ニッポニカ) 「高山甚太郎」の意味・わかりやすい解説 高山甚太郎たかやまじんたろう(1857―1914) 工業化学者。加賀(かが)国(石川県)大聖寺(だいしょうじ)藩士高山甚吾の長男として生まれる。1878年(明治11)東京大学理学部化学科を卒業し、内務省地質調査掛・農商務省技師を歴任。「本邦耐熱粘土分析説」(1882)、「日本ニ於(おい)テポルトランドセメントヲ製スルニ適切ナル方法如何(いかん)」(1892)などの論文を発表した。1896年鉄鋼業視察のためヨーロッパに渡り、1900年帰国後、工業試験所の設立を主唱し、初代所長として没するまで在職した。[山崎俊雄][参照項目] | ポルトランドセメント 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高山甚太郎」の解説 高山甚太郎 たかやま-じんたろう 1856*-1914 明治-大正時代の応用化学者。安政2年12月1日生まれ。耐火材料の研究に従事。東京工業試験所の設立につとめ,明治33年設立とともに初代所長となる。日本化学会,工業化学会会長。大正3年10月23日死去。60歳。加賀(石川県)出身。東京大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例