デジタル大辞泉 「高村智恵子」の意味・読み・例文・類語 たかむら‐ちえこ〔‐チヱこ〕【高村智恵子】 [1886~1938]洋画家・紙絵作家。福島の生まれ。夫は詩人・彫刻家の高村光太郎。雑誌「青鞜」の表紙絵などを描く。命日は光太郎の詩「レモン哀歌」にちなみ、レモン忌という。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
20世紀日本人名事典 「高村智恵子」の解説 高村 智恵子タカムラ チエコ 明治〜昭和期の洋画家 高村光太郎の妻。 生年明治19(1886)年5月20日 没年昭和13(1938)年10月5日 出生地福島県安達郡安達町 旧姓(旧名)長沼 学歴〔年〕日本女子大学家政科〔明治40年〕卒 経歴日本女子大学在学中から油絵を習い、卒業後も太平洋画研究所に通う。「青鞜」とも関わりをもち、表紙絵なども描いた。大正3年彫刻家・詩人の高村光太郎と結婚後は織物製作に力を入れた。昭和6年頃から精神分裂症に悩み、千葉県九十九里浜で療養生活を送ったが、療養中は紙絵を多く作成。病弱であったが、夫婦愛は強く、その思いを光太郎が16年に「智恵子抄」としてまとめた。生家は安達町によって保存されている。平成7年には療養したゼームス坂病院(東京都品川区)跡地に“終焉の碑”が完成した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高村智恵子」の解説 高村智恵子 たかむら-ちえこ 1886-1938 明治-昭和時代前期の洋画家。明治19年5月20日生まれ。太平洋絵画研究所にまなぶ。青鞜(せいとう)社に参加し,雑誌「青鞜」創刊号の表紙をえがく。大正3年高村光太郎と結婚。昭和6年ごろから統合失調症(精神分裂病)となり,療養生活をおくる。療養中おおくの紙絵を制作。昭和13年10月5日死去。53歳。福島県出身。日本女子大卒。旧姓は長沼。本名は智恵。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例