高来郷(読み)たかくごう

日本歴史地名大系 「高来郷」の解説

高来郷
たかくごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。「和名抄」肥前国高来郡は「多加久」と訓を付す。「風土記稿」はもし字音をもって称えたのならば、大住郡に接する淘綾ゆるぎ高麗寺こうらいじ(現中郡大磯町)にあたるかとする。同書によれば高麗権現社(現高来神社)蔵の弘安一一年(一二八八)四月二八日の鐘銘に「奉冶鋳高来寺鐘一口」とあり、「高来寺」は高麗寺(現廃寺)をさすと思われる。


高来郷
たくごう

郷域は、近世多久たく(現多久市一帯)辺りに比定される。

肥前風土記」にはみえないが、風土記にいう小城郡七ヵ郷の一と考えられる。「和名抄」に「高来」とあり、刊本は「多久」とよむ。「延喜式」兵部にみえる高来駅(多久市の→高来駅が置かれたと思われる。


高来郷
たかくごう

「和名抄」諸本とも文字の異同はなく、訓を欠く。「太宰管内志」は「多加久とよむべし」とする。現行橋市に高来の大字があり、平尾ひらお台の東麓一帯に比定されるか。長徳五年(九九九)一月一日の京都郡雨米事件では、前蒭野くさの(草野庄、現行橋市)検校日下部信理(法名寂性)の高来郷の私宅(平井寺の北西の方角に所在)に雨米が降ったという(「本朝世紀」長保元年三月七日条)


高来郷
たかくごう

「和名抄」高山寺本・東急本・刊本に「高来」と記され、ともに訓を欠く。「常陸国風土記」信太郡の項に「高来の里」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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