現代外国人名録2016 「高行健」の解説
高 行健
コウ・コウケン
Gao Xing-jian
- 職業・肩書
- 劇作家,作家,画家 元北京人民芸術劇院創作員
- 国籍
- フランス
- 生年月日
- 1940年1月4日
- 出生地
- 中国・江西省
- 学歴
- 北京外国語学院フランス語系〔1962年〕卒
- 勲章褒章
- フランス芸術文化勲章シュバリエ章〔1992年〕
- 受賞
- ノーベル文学賞〔2000年〕,香港中文大学名誉博士号〔2001年〕
- 経歴
- 1957年北京外国語学院フランス語部に入学、アラゴンやサルトル、ブレヒトを知り、戯曲や脚本、小説、詩の創作を開始する。’66年から文化大革命下で農村に下放。’75年北京に戻り、「中国建設」雑誌社のフランス語部門主任となる。’77年中国作家協会対外連絡委員会に転属。’79年中国共産党に入党。’81年より北京人民芸術劇院に所属。’82年の戯曲「絶対信号」以来、演出家の林兆華と組んで中国の実験的な小劇場演劇の先頭に立つ。’83年不条理劇「バス停」を発表するが当局の“精神汚染”追放キャンペーンで批判を受け、’86年には劇の上演が禁止される。この頃から水墨画の手法を使った抽象的油絵を描き始め、’87年ドイツの芸術財団の招聘を受け出国。’88年フランスに政治亡命し、パリに渡る。’89年天安門事件に触発され戯曲「逃亡」を発表、同作品は中国共産党から批判される。同年共産党を離党。のち中国本土では作品が発禁処分となる。’90年長編小説「霊山」を発表。戯曲「生死界」(’91年)、「対話と反問」(’93年)、「夜遊神」(’95年)がヨーロッパ各地で上演され、劇作家として知られるようになる。また演劇評論も手がけ、画家としても活躍。’97年フランス国籍取得。2000年中国の小説や戯曲に新たな道を切り開いたとして、中国系作家として初めてノーベル文学賞を受賞。他の作品に戯曲「野人」(1985年)、小説「母」(’83年)、「ある男の聖書」(’99年)、評論「現代小説技巧初探」(’81年)、「戯劇集」(全10巻,2001年)など。近年はフランス語でも執筆。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報