フランスの前衛劇作家。ルーマニアのスラティーナに生まれ、フランス人の母とともに1歳でパリに出て幼年期をフランスで過ごし、青年期は母国へ戻ってブカレスト大学を卒業。フランス語の教師となり、文芸評論を書き始めるが、1938年からパリに定住。50年、処女戯曲『禿(はげ)の女歌手』がニコラ・バタイユ演出によってノクタンビュール座で上演されたことで、いわゆるアンチ・テアトル(反演劇)の先駆となった。題名とはなんの関係もない内容をもつこの作品は、アシミルの英会話入門書から発想され、単純なことばの表現によって繰り広げられる日常的な自明の現実が、「ことばの関節が外れ、内容が空洞化する」ことによって崩壊してゆくようすを描いた「言語の悲劇」なのである。
初期の作品『授業』(1951初演)、『椅子(いす)』(1952)、『義務の犠牲者』(1953)、『アメデまたはいかに厄介払いするか?』(1954)、『ジャックまたは服従』(1955)などは激しい反発を巻き起こしたが、1956年『椅子』の再演によって、彼の作品は一般大衆に浸透した。それ以来やや前衛性は緩和されて寓話(ぐうわ)性や風刺性が増し、『無給の殺し屋』(1959)、『犀(さい)』(1960)、『瀕死(ひんし)の王』(1962)など、主人公ベランジェが登場して筋の論理的発展を構成し、作品相互のつながりさえつくりだすようになる。とくに『犀』は国立劇場オデオン座でジャン・ルイ・バロー演出により上演されたほか、世界各地で上演された。66年コメディ・フランセーズにおいて大作『渇きと飢え』が上演され、70年にはついにアカデミー会員に選ばれる。その後『殺戮(さつりく)ゲーム』(1970)、『このすばらしい娼家(しょうか)』(1973)などを書き、近作に『死者たちへの旅』(1980)。戯曲以外には、短編小説『大佐の写真』(1962)、評論集『ノート・反ノート』(1958)などがある。
[利光哲夫]
『大久保輝臣他訳『イヨネスコ戯曲全集』全4巻(1969・白水社)』
フランスの劇作家。ルーマニア人を父,フランス人を母として,ルーマニアのスラチナで生まれ,13歳までフランスで育ち,ブカレスト大学に学んだ後,1938年にパリに戻る。48年に英会話の教科書をもじって,日常的な形式論理の無意味さや会話による意思疎通の不可能,それに伴う言語の解体,その帰結としての精神の崩壊という現代人の不安を如実に舞台化した《禿の女歌手La cantatrice chauve》(1950)を書き,〈反戯曲〉と副題をつける。さらに,言葉や事物がひとり歩きや自己増殖を始めて人間を圧倒する恐怖を黒いユーモアのうちに描く一幕物《授業La leçon》(1951)や《椅子Les chaises》(1952)などを発表し,50年代半ば以降いわゆる不条理劇の代表のひとりとして国際的評価を受ける。《無給の殺し屋》(1959)を転機に,主人公ベランジェを中心に展開する多幕物に進み,初期作品で失われていた物語性を回復し,《犀(さい)》(1958)の成功を経て《渇きと飢え》(1966)がコメディ・フランセーズで上演され,70年にはアカデミー会員に選ばれる。以後も優れた戯曲を書き続け,《死者の国への旅》(1981)は,多様な作劇術を駆使して,それまでの一貫した主題であった存在の不安と死の恐怖を内省的自伝的夢幻的次元で集大成した詩的作品として高く評価されている。このほか,演劇論集《ノートと反ノート》(1962)や短編小説集《大佐の写真》(1962)があり,劇界に大きな影響を残している。
→前衛劇
執筆者:安堂 信也
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…〈不条理〉という概念は,すでにA.カミュなどに代表される実存主義の作品に認められるが,表現方法として従来の論理的思考に基づく劇作法を完全に否定したところが,不条理劇の特徴である。E.イヨネスコの処女作とされる《禿(はげ)の女歌手La cantatrice chauve》(1950)が,〈反戯曲(アンチ・ピエス)〉とも題されていたように,それは従来の劇作法を徹底的に愚弄するものであった。イギリス風の中流家庭でのイギリス風の夫婦の会話に始まるこの劇では,言語は日常性の意味を離れて核分裂し,それを語る人間のアイデンティティさえも崩壊させてしまう。…
…
【20世紀】
20世紀フランス演劇をその変革の相においてとらえれば,大別して三つの時期を認めることができる。第1は,1913年,J.コポーによる〈ビユー・コロンビエ座〉創設から,両大戦間におけるL.ジュベ,C.デュラン,G.ピトエフ,G.バティの4人の演出家による〈カルテル四人組〉の時代,第2は,J.L.バローによるカルテルの遺産の発展と並行して50年代に起きる三つの事件,すなわちJ.ビラールによる〈民衆演劇運動〉と〈演劇の地方分化〉の成功,E.イヨネスコ,S.ベケット,A.アダモフ,J.ジュネらの〈50年代不条理劇〉の出現,そして〈ブレヒト革命〉であり,第3の時期は,68年のいわゆる〈五月革命〉によって一挙に顕在化した社会的・文化的危機の中で,演劇が体験した一連の大きな〈異議申立て〉(A.アルトーの徴の下に広がった〈肉体の演劇〉を中核とする)とその結果である。
[演出家の時代――コポーと〈カルテル四人組〉]
演出家で集団の指導者をフランス語でアニマトゥールanimateurと呼び,20世紀を〈アニマトゥールの世紀〉と称するが,コポーはアニマトゥールの枠組みそのものを提示した人物である。…
…ミュージカルの長期公演記録としては,《マイ・フェア・レディ》の2717回がある。アメリカだけでなくロンドンやパリの劇場でもこの方式が成功して,前者ではA.クリスティの《ねずみとり》,後者ではE.イヨネスコの《禿の女歌手》が,20年をこえて現在でも興行を続けている例がある。【戸張 智雄】。…
※「イヨネスコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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