日本大百科全書(ニッポニカ) 「イヨネスコ」の意味・わかりやすい解説
イヨネスコ
いよねすこ
Eugène Ionesco
(1912―1994)
フランスの前衛劇作家。ルーマニアのスラティーナに生まれ、フランス人の母とともに1歳でパリに出て幼年期をフランスで過ごし、青年期は母国へ戻ってブカレスト大学を卒業。フランス語の教師となり、文芸評論を書き始めるが、1938年からパリに定住。50年、処女戯曲『禿(はげ)の女歌手』がニコラ・バタイユ演出によってノクタンビュール座で上演されたことで、いわゆるアンチ・テアトル(反演劇)の先駆となった。題名とはなんの関係もない内容をもつこの作品は、アシミルの英会話入門書から発想され、単純なことばの表現によって繰り広げられる日常的な自明の現実が、「ことばの関節が外れ、内容が空洞化する」ことによって崩壊してゆくようすを描いた「言語の悲劇」なのである。
初期の作品『授業』(1951初演)、『椅子(いす)』(1952)、『義務の犠牲者』(1953)、『アメデまたはいかに厄介払いするか?』(1954)、『ジャックまたは服従』(1955)などは激しい反発を巻き起こしたが、1956年『椅子』の再演によって、彼の作品は一般大衆に浸透した。それ以来やや前衛性は緩和されて寓話(ぐうわ)性や風刺性が増し、『無給の殺し屋』(1959)、『犀(さい)』(1960)、『瀕死(ひんし)の王』(1962)など、主人公ベランジェが登場して筋の論理的発展を構成し、作品相互のつながりさえつくりだすようになる。とくに『犀』は国立劇場オデオン座でジャン・ルイ・バロー演出により上演されたほか、世界各地で上演された。66年コメディ・フランセーズにおいて大作『渇きと飢え』が上演され、70年にはついにアカデミー会員に選ばれる。その後『殺戮(さつりく)ゲーム』(1970)、『このすばらしい娼家(しょうか)』(1973)などを書き、近作に『死者たちへの旅』(1980)。戯曲以外には、短編小説『大佐の写真』(1962)、評論集『ノート・反ノート』(1958)などがある。
[利光哲夫]
『大久保輝臣他訳『イヨネスコ戯曲全集』全4巻(1969・白水社)』