日本大百科全書(ニッポニカ) 「亡命文学」の意味・わかりやすい解説
亡命文学
ぼうめいぶんがく
政治的・人種的・宗教的理由によって祖国を離れたり追われたりして、他国に亡命した文学者の文学を総称して「亡命文学」という。
その典型的なものとしては、フランス革命からナポレオン時代にかけてのシャトーブリアンやスタール夫人、ナポレオン3世治下のユゴー、またツァーリ圧制時代のゲルツェンやオガリョフなどがある。20世紀においては、ブーニン、メレシコフスキー、アンドレーエフらがソビエト革命に反対してドイツやフランスに亡命した。
[川上 勉]
ナチス時代のドイツ
しかし、亡命者の数や文学作品の質と量からいって、亡命文学といえばまずナチス時代のドイツ亡命文学をさすことが多い。1933年1月、ヒトラーが政権を獲得すると、国会放火事件とそれに引き続く左翼勢力への弾圧が開始される。このとき逮捕された文学者のなかにオシエツキ、レン、ブレーデル、キッシュEgon Erwin Kisch(1885―1948)などがいる。さらに、ユダヤ人排斥、焚書(ふんしょ)、プロイセンの芸術アカデミー会員の更迭、ついには民主的文学者・芸術家に対するドイツ市民権の剥奪(はくだつ)という事態にまで至る。こうしてドイツを代表する多くの文学者たちは国外への亡命を余儀なくされた。また、オーストリア併合(1938)、チェコ占領(1939)によって、亡命はドイツ語圏の作家たちにまで拡大された。
亡命先は当初はフランス、スイス、オランダ、イギリスといったヨーロッパ諸国や旧ソ連、旧チェコスロバキアなどであったが、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)によってドイツ軍がヨーロッパを席捲(せっけん)すると、彼らはアメリカ、カナダ、中南米などに移らざるをえず、亡命生活は十数年に及んだ。しかし、過酷な亡命生活に耐えきれず自ら生命を絶った者や、亡命地での悲惨な生活のなかで病没した者も少なくない。
[川上 勉]
亡命地での活動と意義
亡命地で著作活動を続けることにはさまざまな困難が付きまとったが、文学者たちは思想や政治的立場の違いを超えて協力しあい、いくつかの雑誌によって反ナチス・反ファシズムの文筆活動を展開した。その代表的なものに『ザムルンク』(アムステルダム)、『ノイエ・ドイッチェ・ブレッター』(プラハ)、『ダス・ノイエ・ターゲブーフ』(パリ)、『ダス・ボルト』(モスクワ)などがある。また、ハインリヒ・マン『アンリ4世の青春』(1935)、トーマス・マン『ヨゼフとその兄弟』(1933~43)、シュテファン・ツワイク『心の焦燥』(1938)、ブレヒト『第三帝国の恐怖と貧困』(1938)、ゼーガース『第七の十字架』(1942)その他数多くの現代ドイツ文学を代表する文学作品も亡命先で出版されたのである。
第二次世界大戦後、亡命地にとどまった作家もあるが、多くの作家たちは旧東または旧西ドイツに帰国して、それぞれ戦後ドイツ文学の重要な担い手となった。ドイツの亡命作家たちは、自由と正義を擁護する文学者の立場から、亡命地における反ナチス運動と協力することによって、世界の反ファシズム統一戦線の一翼を担ったが、なんといってもその最大の意義は、ドイツ文学の伝統がこれら亡命した文学者たちの文学活動や文学作品によって継承され、発展させられたということである。
[川上 勉]
第二次世界大戦後の亡命文学
第二次世界大戦後、主として社会主義諸国から亡命した文学者も少なくない。なかでも、ソルジェニツィン、アクショーノフ、クンデラ、エリアーデ、カネッティなどの名はよく知られている。しかし、これらの作家たちは、ナチス時代のドイツの作家たちとは違って、亡命の時期も状況もそれぞれさまざまである。1998年にフランス国籍を取得し、2000年にノーベル文学賞を受賞した高行健(こうこうけん/ガオシンヂエン)も中国からの亡命作家といえるだろうが、「グローバル化」が進み、「国境」の考え方も変容している現代世界においては、亡命文学という概念も名称も、もはや「歴史的なもの」となりつつあるというべきかもしれない。
[川上 勉]
『佐藤晃一・山下肇著『ドイツ抵抗文学』(1954・東京大学出版会)』▽『クラウス・マン著、小栗浩他訳『転回点』全3巻(1970~71・晶文社)』▽『岩切徹著『亡命者』(1991・岩波書店)』▽『高村宏著『ドイツ反戦・反ファシズム小説研究』(1997・創樹社)』▽『沼野充義著『亡命文学論――徹夜の塊』(2002・作品社)』