髙﨑正治(読み)たかさきまさはる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「髙﨑正治」の意味・わかりやすい解説

髙﨑正治
たかさきまさはる
(1953― )

建築家。鹿児島県生まれ。1971年(昭和46)名城大学理工学部建築学科入学、1976年に卒業するが、大学在学中の1975年に建築設計事務所物人(ものびと)工房を開設し活動を始める。1977年『新建築』国際住宅設計競技で入選し、案を高く評価した審査員のピーター・クックPeter Cook(1936― )に招かれ渡英イギリスドイツでいくつかの建築設計事務所に勤め建築設計を学ぶ。帰国後、82年物人工房を改組し、TAKASAKI物人研究所を設立。1990年(平成2)髙﨑正治都市・建築設計事務所物人研究所に改組。2001年より京都造形大学環境デザイン学科教授を務める。

 髙﨑が1987年に設計した複合施設結晶のいろ」(東京都)はセンセーショナルなデビュー作品であった。それ以前は独特のドローイングで建築イメージのみを発表する建築家として考えられていたからである。表現主義建築的なドローイングはピーター・クック、クリスティン・ホーリーChristine Hawley(1949― )ら「アンビルト・ロンドン」派(ロンドンのAAスクール(Architectural Association School)出身の建築家たちで構成され、実際に建築を建てずに出版と展覧を中心に活動していた)の幻想的なドローイングを思わせ、その想像力は評価されていたが、実際建築することを前提とした建築ではないと思われていたのである。しかし、実現された「結晶のいろ」の有機的な形態はドローイングそのものであった。東京・青山の住宅街に現れた金属板が波打つ「結晶のいろ」は周囲の環境に調和しているとはいいがたかった。むしろその違和感が異様な迫力をもって建築界だけではなく、周囲の環境に影響を及ぼしたのである。竣工後すぐにこの建築は「違法建築」として閉鎖され、解体憂き目をみる。これは住宅用途外のオフィス使用による違反であり、必ずしも建築デザインの問題ではないのだが、建築家髙﨑のデビューをいっそう劇的にしたのである。

 その後も髙﨑は「天と地、自然と人との有機的な結びつき」という建築の前提、そして流動的で有機的な建築表現をけっして曲げることはなかった。集合住宅、コミュニティ施設など建物の機能は異なっていても、展望台天体観測などの要素をもたせ、波打つ曲線を多用し、さらには卵型のボリュームを構成のなかに組み込むなど、独特の象徴的建築をつくるのである。

 髙﨑は出身地である鹿児島県にこだわり、指宿(いぶすき)市のふれあいプラザ・なのはな館鹿児島県高齢者交流センター(1998)をはじめとしてゼロ・コスモロジー(オフィス、住宅。1991、鹿児島市)、輝北(きほく)町星生館・星の家、輝北天球館(いずれも1995、鹿屋(かのや)市)、南溟(なんめい)建築―髙﨑正治建築美術館(1996、鹿児島市)など複数の自作公共建築を核として、「文化圏・海のシルクロード構想」を計画する。従来からの建築の公共性、あるいは機能性といった文脈とはまったく異なった視点から発言する、日本では数少ない建築家である。

 そのほかの作品には、住宅「知頭(ちず)のいろ」(1991)、玉名展望台(1992、熊本県)、集合住宅「第二大地の建築」(1994、東京都)、久住(くじゅう)高原ロードパーク展望レストラン(1994、大分県)、鹿児島トヨタ自動車営業所(1996)、東京シネマコンプレックス(イメージフォーラム、2000)、阿久根大島(あくねおおしま)渡船場(2001、鹿児島県)などがある。

 主な著書として、『Creative Now 1 髙﨑正治』(1989)、『髙﨑正治――宇宙論の建築』Takasaki Masaharu; An Architecture of Cosmology(1998)などがある。

[鈴木 明]

『『Creative Now 1  﨑正治』(1989・六耀社)』『Takasaki Masaharu; An Architecture of Cosmology (1998, Princeton Architectural Press, New York)』

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