職人や芸術家(工匠)の仕事場。転じて,そこで親方・師匠に従って制作に従事する人的組織。工房は,金属器のように制作に特別な技能を要する物品の発生と共に諸文明中に登場したと考えられる。
工房を,英語ではワークショップworkshop,ステューディオ(スタジオ)studio,フランス語ではアトリエatelier,ドイツ語ではウェルクシュタットWerkstatt,イタリア語ではボッテガbottegaと呼ぶ。都市の発達に伴って発展した中世の工房は,ギルド(同業組合)の統制下にあり,同一職種内部の相互扶助,規制,技術水準の保持に努めた。なんらかの手工業の職に就こうとする者は,親方のもとでギルドの定める一定期間の修業を済ませて職人となる。さらにギルドからその資格にふさわしい力量を認められれば,親方となって自分の工房を開くことができた(徒弟制度徒弟)。
古代・中世においては,美術品制作の手工業的側面が強調されたため,芸術家と一般の職人の間に原理的な区別はなく,中世においては絵画や彫刻の制作は工房制度に組み込まれていた。ルネサンス以降,理念的にも実際にも芸術家は職人階級から独立してゆくが,工房活動の伝統は18世紀ころまで存続した。美術工房の実態は,ギルドの管理体制が整った14世紀ころからかなり具体的に知られている。一般に工房は,(1)教育の場,(2)共同制作の場,(3)製品の倉庫・展示場の3機能を兼備しており,美術工房も例外ではない。
例えば,画家を志す者は,10歳前後で工房に住み込みで入門し,雑用から始めて徐々に下地や絵具の作り方,素描や賦彩の方法などをもっぱら実践を通して会得し,上達すると親方の作品の一部分の制作を任される。徒弟は,親方に授業料を納める場合と,親方から賃金をもらう場合とがあり,これは親方の名声,徒弟の技量や工房内での仕事の性質により決定された。徒弟が修業中に制作したものは原則として親方に帰属した。ギルドは公平維持のため,同一時期に1人の親方が擁し得る徒弟の数を制限することがあった。4~6年ほどの修業を終えると,徒弟は半独立の職人となって親方を替える権利を得,自ら選んだ工房で日当をもらって働くようになる。さらにギルドの資格認定審査に合格すると親方画家となってギルドに加入し,自分の工房を開設できる。しかし,経済的事情や研鑽を積む目的で,資格取得後も著名な画家の工房で助手を務める者もあり(例えばルーベンスの工房におけるファン・デイク),またこれとは別に顔料を砕くなどの下働きに一生従事する徒弟も存在した。16世紀以降イタリアから始まって各地に,職人とは区別された芸術家の団体であるアカデミーが設立される。しかし,アカデミーでは主として理論面の教育が行われ,17,18世紀になっても芸術家の技術的育成は依然として個人の工房を中心に行われた。
工房は第1に親方個人の仕事場であるが,歴史的に重要なのは,親方の指揮下に職人・徒弟が行う共同制作である。共同制作の場としての工房では,とりわけ15世紀イタリアの場合,美術工芸の各分野にわたる多面的活動がなされることが珍しくなく(例えば,15世紀後半のフィレンツェで繁栄したポライウオロ兄弟の工房では,絵画,彫刻,金属工芸,版画などが手がけられた),親方は多少とも〈万能人〉であることが要求された。また,親方の構想・指導のもとに作品制作の分業化が行われることも多く,下準備はもちろん,背景,衣装,小道具などを,助手や弟子が力量に応じて担当した。遠隔地での壁画制作のような注文を受けた場合は,組織としての工房は親方とともに目的地に移動し,現地で新たな人員を加えたり,またその地に工房独自の様式や技術を広めたりした。親方の作品のレプリカ(複製)作りも,修業の一環であり,工房活動の重要な部分を占めている。工房によるレプリカ,および親方の構想に基づくが実現は工房の手になる作品は〈工房作studio work〉と呼ばれる。工房作は多かれ少なかれ親方の加筆修正を受け,親方の作品として売買された。親方の死後は,工房は世襲されるか,ジュリオ・ロマーノがラファエロの工房を引き継いだ場合のように,有力な助手により継承された。
工房活動が,一芸術家(親方)の様式にならう者たちの集団である〈派school〉の形成に結びついたのは自然ななりゆきであり,この傾向は特に傑出した個人の様式が注目されるようになったルネサンス以後著しい。他方で個性への関心,芸術と手工業の理念的分離は,盛期ルネサンスに早くも工房制度に対する否定的立場を生み出した。例えばミケランジェロはほとんど工房を形成していない。現実には16世紀以降も大規模な装飾事業を中心に工房活動は行われるが,19世紀に天才あるいは個性の観念が絶対化されるにいたり,共同制作の場としての工房は意義を失い,個人の仕事場および教育機関としての役割のみが存続することになる。
→アカデミー →アトリエ →画家組合
執筆者:高橋 裕子
588年(崇峻1),日本最初の本格的な寺院造営のために,百済から技術者が派遣された。この時に渡来した工匠は〈寺師〉〈瓦師〉〈露盤師〉と記録されている(《元興寺伽藍縁起》)。やがて,飛鳥の地で法興寺(飛鳥寺)の第1期工事が始まり,当時すでに日本で活躍していた工匠,すなわち手人(てひと)の集団もこの大事業に参加した。しかし,寺院の造営には多数の習熟した工匠とその組織化が必要であったに相違ない。それゆえに,法興寺造営の場合,渡来技術者たちが特に〈師〉と記されていることに注目したい。技術の伝習と工匠の組織化は,この〈師〉を中心に計られたと考えられ,そこに初期工房の形成をうかがうことができよう。したがって,土師,鉄師,染師,仏師,絵師などと記録されている場合も,同様な工房の編成を予想させる。8世紀に入ると,主要な手工業技術者は律令制の官司として設置された政府の制作機関に組みこまれるが,官営事業の飛躍的な拡大に伴ってつぎつぎに増設され令制外の官営事業所にも吸収されていく。造仏所,鋳所,木工所,写経所,絵所など〈所(ところ)〉と呼ばれる共同制作の場の成立が,この時期の工房組織を特色づける。だが,その画一化された巨大な制作組織体はむしろ官営事業所というべきであろう(奈良時代美術)。旺盛な官営事業所設営の背後で,民間の工房も存在した。768年(神護景雲2)ころと推定される《正倉院文書》に,〈漆部大夫私仏所〉と記載されているのが注目される。その私仏所の活動実態は明らかにし難いが,乾漆による造仏の工匠が民間工房を主宰していたと推測される。この種の私的な〈所〉としての民間制作工房は,やがて9世紀以降の仏所や絵所,あるいは細工所などへと展開する方向を示唆する。8世紀末にいたって官営の事業所があいついで解体・縮小され,機構の再編が行われ,やがて宮廷に私的な生産機構としての〈所〉が成立する。作物所,楽所,絵所などがそれで,摂関家においても家政機関として細工所や修理所などを設けるにいたった。これらの生産工房は,当時の絵所に代表される人的組織を有していたと考えられる。〈所〉は工匠の私的な仕事場であると同時に,師匠を中心に徒弟関係で結ばれた工房であった。仏所の分立や諸画派の形成などがこのことを例証する。さらに,この工房はやがて権門寺社勢力と結びついて工匠の〈座〉を結成し,一段と専業化をおしすすめていく。中世における商工業者・職人の成長は,また,手工業技術工匠の生産に対する作料給付体系の転換をも促した。報償的な禄の給付から賃金支給への変化は,ついに古代的な〈所〉工房を,近世的な〈屋〉工房へと変貌させた。中世後半期における扇屋や絵屋などの,店としての工房の誕生はその意味で見落とせないであろう。近世に及んで都市を中心とした手工業生産の需給関係の増大とその方式の進展は,喜多院所蔵の《職人尽絵》に見るように,特産業者の店舗を背後から支える生産工房において促進された。特に美術工芸の店としての工房は,人々の美的趣味生活を掘りおこし,芸術的生産の個性化を目覚めさせたのであった。
執筆者:吉田 友之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(川口正貴 ライター / 2009年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…画家,彫刻家や職人の仕事場,または芸術家の塾。18世紀以前については〈工房〉の項を見られたい。18世紀末から19世紀にかけて,それ以前は集団制作と徒弟修業の場であった工房は,とりわけ芸術家の教育の場=塾という形で変化してゆく。…
… 第2次大戦後は,〈部屋劇場Zimmertheater〉〈地下室劇場Kellertheater〉などという名で客席数100以下の小空間の劇場も登場し,これによって従来の小劇場はいわば〈中劇場〉に格上げされることとなった。さらに1960年代には,公立劇場が第3の小空間実験劇場を持つことが通例となり,これに対しては〈スタジオ舞台Studiobühne〉とか〈工房Werkstatt,Werkraum〉などという名称が与えられた。このような実験的な空間から,〈アングラ演劇〉などと呼ばれる一群の新しい演劇が誕生するわけであるが,それは,いわばこの時代の世界的な現象であって,日本でも昭和30年代の中型劇場中心の時代を経て,1960年代には客席数100前後の小劇場(運動)が生まれ,それがアングラ演劇の発生をうながし,またそのような演劇が小劇場という新しい空間を必要とするという似たような過程が現出した。…
…早く〈俵屋〉を屋号とする絵屋あるいは扇屋を興して主宰したらしく,磯田道冶の仮名草子《竹斎》によれば,元和年間(1615‐24)京都でその扇面画,源氏絵は非常に評判の高いものであった。すなわち弟子を使って工房制作を行い,俵屋絵として売り出したのである。出自を生かして千少庵,烏丸光広,本阿弥光悦など当時一流の文化人,公卿と親交を結んだことが,その画風形成上にすぐれた影響をもたらした。…
※「工房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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