日本大百科全書(ニッポニカ) 「輝北」の意味・わかりやすい解説
輝北
きほく
鹿児島県大隅半島(おおすみはんとう)北西部、曽於郡(そおぐん)にあった旧町名(輝北町(ちょう))。現在は鹿屋(かのや)市の北部を占める。旧輝北町は1956年(昭和31)囎唹(そお)郡(1972年曽於郡と改称)市成(いちなり)村と肝属(きもつき)郡百引(もびき)村が郡境を越えて合併し町制施行。町名は、昔から名馬の産地で驥北(きほく)とよばれていたことに由来する。2006年(平成18)鹿屋市に合併。旧輝北町の西部は高隈山地(たかくまさんち)や高原、東部はシラス台地で、菱田(ひしだ)川支流の堂籠(どうごもり)川、絹田川、梅ヶ渡(わたし)川などの各河川により侵食谷が刻まれている。鉄道はないが、国道504号を中心に県道が縦横に走っている。畜産とくに和牛の生産が盛んで、高原部には大牧場がつくられている。林野面積が広く林業も活発で、スギ、ヒノキの植林が行われている。上場(うわば)高原は曽於八景の一つ、登見(とけん)ノ丘はツツジの名所である。
[田島康弘]
『『輝北町郷土史』(1966・輝北町)』