日本大百科全書(ニッポニカ) 「建築設計」の意味・わかりやすい解説
建築設計
けんちくせっけい
建築物を建設するにあたって、その意図に即して構造、材料、工費などの計画をたて、図面その他の方法で明示する行為。より一般的には、建築に限らず何かを企て、それを具体化する手続を考える行為を設計という。
[太田利彦]
設計の分類
建築の設計にはさまざまな内容が含まれ、見方により種々の表現があるが、通常、(1)対象別、(2)段階別、(3)手法別、(4)工法別などによって分類できる。すなわち、(1)は単純に建物種別または用途別により事務所設計、学校設計などといって設計の対象を明らかにする分類であり、さらに建築物のある機能を対象にした構造設計、設備設計、また建築空間のある性能を対象にした音響設計、採光設計などが含まれる。(2)では建築の生産過程に応じて一般に基本設計と実施設計に分けられ、さらに設計の局面展開に応じて略設計(フランス語でエスキスesquisse)、粗設計(スケッチデザインsketch design)、詳細設計(ディテールdetail)などのことばがある。(3)は設計の仕方に関係するもので、設計者を決めるための競技設計、特命設計などがあり、設計の進め方として複数の設計者が共同して行う共同設計がある。また設計のある手続を規格化したり、標準化した設計を規格設計とか標準設計などという。そのほか最近ではコンピュータを使って自動的に設計することも実用化されており、計算機援用設計などとよばれ、通称CAD(キャド)(computer aided design)という。(4)は、前項が設計そのものの手法の変化であるのに対し、工法などとの対応で分類できる設計をいう。たとえば、一つの設計図で繰り返し建築物を建てたりするような場合、量産設計という。また、ある工法と対応してシステム設計などとよばれるものがある。
そのほか、建築物のある性能を限定して、目標のはっきりしている設計の場合に、耐久設計とか安全設計、防音設計、耐火設計、耐震設計などということもあり、さらにこれら目標に対して最適設計とか経済設計などとよぶこともある。これらは完全分類ではなく、ほかにもさまざまな分類ができるが、建築の設計内容はかなり多角的にとらえられることがわかる。
[太田利彦]
建築生産と設計
設計がどのような形で行われるにせよ、建築が実際に建てられるには、通常、企画、設計、施工の3段階の過程がある。このように建築の生産過程でみれば、設計はその1段階に位置づけられる。すなわち企画は建築主あるいは建築を建てようとする発注者が中心となって行われるのに対し、設計は設計者が中心となり、建築に対する建築主の要求をさまざまな条件のなかで種々の具体的検討を加えながら、ある形を創造し、これを施工者などに指示する過程であり、施工は、設計者の指示に従って施工者が具体的に建物を建設する過程をいう。このように企画、設計、施工の3段階は、中心となって関与する人の立場によって区分されるが、実際には設計行為はかなり幅広い段階にわたっている。たとえば、設計者が企画段階から関与し、設計の前段階まで含めた行為を計画ということもあり、企画と計画、計画と設計の画然とした境目は不明確なことが多い。さらに施工段階でも設計者は設計意図の確認のために施工者に必要な指示をすると同時に、室内の色彩計画を行うなど、実物との対応でなければ決められないような設計行為もある。
しかし設計段階は、一般的には先の分類の項にも記したように、さらに基本設計と実施設計とに分けられる。基本設計は、企画において意図された内容を分析し、建築物の具体的なイメージとして形の基本を組み立てる段階の設計をいう。そこでは建築物の概要を示す図面のほかに、建築物に対する考え方、構造方式、主要材料、仕上げ、設備の概要ならびに工事費の見込み額などが提案される。これらが発注者の注文意図に合致すると、次の実施設計の段階に移ることになる。実施設計とは工事の実施に必要な設計をいい、それによって施工者が工事し、工事費を算出できるだけの図書、すなわち各種設計図、構造計算書、設備計算書、仕様書、工事予算書などが作成される。さらに設計の役割としては、このあとに工事が始まると、設計の意図どおり工事が行われているか否かを確認する監理がある。
[太田利彦]
設計者
設計の中心となる人が設計者ではあるが、実務としての設計は通常だれにでもできるものではない。日本では一定規模以上の建築物は、法的には建築士の資格がなければ設計や工事監理をすることはできない。アメリカでも建築家として登録されていない者が建築物の設計・監理業務を行うことは原則的にできないと定められているが、日本では建築主、設計者、施工者がつねに厳密に区別されていない場合も多い。建築主自身が資格さえあれば設計者を兼ねることもでき、施工者も同様である。たとえば事務所建築を建てて他会社に貸したりするディベロッパーや、大手の建設業者などは、ほとんど建築士の資格をもち設計事務所として登録されている。また多くの施設を自ら使うための官公庁や企業でも多数の建築士を擁し、設計を行えるのが普通である。この点、西欧において建築主や施工者から独立した立場で職能を確立している建築家とは社会的認識は多少異なる。
一般に設計は、その対象がよほど単純で規模の小さい場合でもなければ1人の設計者によって行われることはまれである。たとえば、資格のない一般の人が自分の家を建てるときに方眼紙に間取りなどをかくのも設計行為の一部ではあるが、どのような材料を使って、どのように電気の配線をするのかなどは考えられない。これらは施工者に任せればよいこともあるが、より基本的には専門家に設計を依頼しなければならない。このように建築設計には、専門家でなくても考えられるような内容から、高度な専門知識を要求されるような内容まで含まれ、実務においても、少なくとも構造とか設備などの専門分野の設計者の協力が必要になる。元来、日本の建築教育では厳密に専門を区別せずに、これらを包含した形で建築設計をとらえ、設計者は法的にも建築士法によってその資格を得るには、さまざまな分野について、かなり広い知識が要求されている。したがって資格を有する建築士ならば単独でもすべての設計はできることになるが、実際には各専門分野にすべて堪能(たんのう)であることはむずかしく、それぞれの専門家が設計に関与することになる。欧米では建築全体の設計をまとめる建築家はデザイナーとして美術系の学校出身であり、構造とか設備の設計は工学系の学校の出身であるエンジニアであって、職能は明確に区分されている。この場合、構造、設備の専門分野に対し、建築全体の設計をまとめる分野を「一般」あるいは「意匠」といったりする。したがって通常、設計者といわれるのは建築家であり、あるいは建築主と直接折衝して設計をまとめる「一般」の担当であることが多いが、実務としての設計者は複数あるいは組織と考えてよい。設計者をとくに建築家とよぶのは、日本では芸術家と同じように建築に対する個性のはっきりした人格を意識している場合が多く、欧米のように明確な職能をさしているわけではない。
[太田利彦]
設計過程
建築の生産は他の工業と異なり、受注生産であり現場生産であるために、設計も通常はそのつど行われることになる。すなわち、設計者は建築主から設計の依頼を受けると、その建築に要求されている内容を確かめ、もっともふさわしい建築を提案するために設計を展開する。しかし建築主個々の要求も千差万別であれば、建築の建てられる敷地の条件もさまざまであるため、提案される建築も一様ではない。また同じ設計条件でも、設計者により提案される建築は異なり、たとえ同一設計者であっても、ただ一つの設計が提案されるとは限らない。こうして設計の展開すなわち設計過程も、ある意味では個々別々であり、きわめて経験的、主観的であって、一般に一定の手続があるとはいえない。しかも建築物はその時代の文化的産物としてつねに文明の指標の一つに数えられているように、単に人間生活の器という実用的な観点からだけでなく、人間のつくった造形として芸術作品とみなされることが多い。したがって、その設計に携わる建築家も西欧では芸術家として遇され、その設計過程は芸術家の天才に任され、他からはうかがい知れぬものとして、近年に至るまで、とくに問題にされることもなかった。しかし元来、建築の設計過程が他の芸術と決定的に異なるところは、建築では設計者が初めから終わりまで、まったく個人の考えで行うものではないことである。つまり、設計者以外の建築主の意図あるいは要求などを分析し、さまざまな制約条件のなかでそれらが建築として具体化するための条件に整理し、技術的あるいは経済的な検討を加えてしだいに具体的な形に統合していくのが建築設計である。また近代社会では建築に対する要求が複雑になり、技術が進歩するにつれ、設計行為はただ1人の設計者によって完結するのではなく、多くの人の共同作業によらねばならなくなる。こうして設計過程を単に設計者の主観にとどめず、客観的にとらえ、共通のものとして相互に確認しておくことがしだいに要請されるようになった。すなわち、建築が生産される過程においては、建築主、設計者、施工者がいろいろな形で関与しあうことになるので、設計過程をその一環として位置づけ、おのおのの役割を明確にしておく必要が意識されるようになったのである。
一口に設計といっても、さまざまな行為が含まれ、その行為内容によって設計過程は多様な局面を展開する。換言すれば、設計過程のとらえ方によって、この局面の分け方がいろいろ提案される。たとえば、先の基本設計、実施設計も実務における慣習的な段階別の分け方である。しかし、設計行為をどのように共通な立場で体系的にとらえようとするかという観点から、設計過程のより客観的な説明に関心がもたれるようになった。こうした動きは、経済社会の発展との対応でとらえられ、建築の生産を芸術から技術の対象としてとらえるようになった20世紀後半の世界的風潮であった。
確かに設計過程は質の異なるさまざまな行為の連続としてとらえることもできるが、見方を変えれば、ある情報の流れとみることもできる。すなわち、設計は建築主のなんらかの要求に応じて行われ、また設計者は、施工に必要な情報を施工者にわかるような図面などによって提供しなければならない。いいかえると、設計行為はある情報を得て、それにさまざまな操作を施すことによって、求める建築空間を一つの情報として提供することになる。したがって、設計過程を情報の変換過程としてとらえることもできる。ただし一般に建築主の提起する要求はかならずしも技術的、経済的に実現可能なものとは限らず、また矛盾した要求もあり、さらに顕在化した要求がつねに真の要求とは限らない。むしろ真の要求は建築主自身にも意識されずに潜在化していることも多いので、これを導き出すことが必要である。
元来、建築主は設計に関しては素人(しろうと)であり、何を注文すれば設計者は設計ができるのかわからないのが普通であるので、設計者はまず建築主の要求がどこにあるのかから検討を始める必要がある。そのためには、設計者としてはあらかじめ設計の手順を考え、どの時点でどのような情報を必要とし、どのようなことを考えていかねばならないかといった設計過程を確立しておく必要がある。設計過程は、設計をどうとらえるかによってその表現も異なり、設計の方法も異なるものとなる。それがまた、それぞれの設計の特徴ともなる。
[太田利彦]
設計の方法
人間が何かを計画したり考えたりする場合にはかならずしも一定の方法があるわけではないが、ある目的行為に対しては無意識的にせよなんらかの方法によって行われているはずである。たとえば、図で直線を引くのに定規という製図道具を使うのも一つの方法である。設計の場合も図面という道具を使うのは、これから建てる建築をイメージするための一つの方法といえる。つまり設計は、建築の生産過程からみればその1段階にすぎず、設計の価値は建築物ができあがったところで初めて意味をもつものであるが、通常は設計図などによって実際に建てられる前に設計内容が表現されている。また逆に、設計の価値が、実際に建築が建ち上がってみないとわからないということでは困るわけで、設計によって提案される最終的な建築物が、あらかじめ関係する人たちによって理解されている必要がある。設計図もそのための道具であり、設計の考えをまとめたり、その内容を他に伝えたりする方法として使う言語のようなものである。たとえば、設計の初期の段階で先に記した方眼紙を使って間取りを考えたりするのも設計の方法である。これは一般にグリッドプランニングgrid planningとよばれ、無限定の空間(一般には平面)に、あたかも単位寸法でくぎられたグリッドが引かれているものと想定し、その単位の大きさを目安に設計を行うのである。元来、無限定の空間をどのように仕切ってもかまわないが、その空間で要求される人間の生活機能を考えると、ある経験的な規模や所要空間のつながりなどから、グリッドによると考えやすいという便利さがある。グリッドの一駒(こま)を実際のある大きさと約束して考えると、グリッドにのせたプランは大きさをつかみやすいし、空間ごとのつながりをみるのも楽である。さらに建築では、人間の寸法に適した使いよい基準寸法の系列をモデュールmoduleとよび、その組合せによって素材、部材、部品、空間の大きさを考えていく方法がある。これをモデュラー・コーディネーションmodular coordinationというが、グリッドプランニングのより発展した形としてみることができる。
このように設計の各局面ではさまざまな方法があるが、かならずしも意識して整理されていたわけではない。設計の方法に関心がもたれるようになったのは近年になってからと考えてよい。すなわち、建築が芸術としてとらえられていた時代には、さほど問題にならなかった設計過程も、建築が生産という一つの経済行為の対象としてみられるようになってから、より体系的な設計過程の一環として設計の技術に関心がもたれるようになったのである。
日本では1950年代後半から始まる高度経済成長時代の影響として、建設投資の増大、建築生産の合理化、工期短縮などの経済的要求、さらに建築空間に対する多様な要求、建築規模の増大などから、しだいに建築設計にも客観的な設計過程が求められるようになる一方、設計方法そのものにも、より客観的合理性が求められるようになった。換言すれば、従来の個人的、主観的、経験的な設計方法に対し、組織的、客観的、体系的な設計方法が要請されるようになった。こうして建築学界でも設計方法に関する研究に関心がもたれるようになったが、時を同じくして世界的にも似たような動きがみられるようになっていた。たとえば、1962年にロンドンで世界で初めて「設計方法に関する会議」が開かれたが、このときは建築家だけでなく、広く工業デザイナー、航空機エンジニア、都市計画家、画家などが参加し、設計行為をさまざまな観点からとらえようとしていた。日本では1963年(昭和38)に日本建築学会に設計方法小委員会が設立され、その活動をもとに64年の建築学会大会で「設計方法をどうとらえるか」を論じている。一方アメリカ合衆国では66年にデザイン方法協議会が結成され、のちに環境設計協会へと発展する。いずれにしても、こうした設計方法に関する研究の初期における共通の問題意識は、設計行為の対象を単に建築に限定することなく、およそものをつくるという立場から考えた普遍的な設計の方法をとらえようとしていることであった。
実際、設計行為を概念的にとらえようとすれば、設計の論理的性質だけを問題にして、建築設計や工業デザインなどの差を意識せずに考えられる。こうした研究が期せずして世界の各国でおこったのは、先にも記したような世界経済の動きとは無縁ではないが、一方研究手法の発達も、その背景にあることは見逃せない。すなわち、第二次世界大戦の副産物といわれるオペレーションズ・リサーチとか、システム・エンジニアリングの手法の適用が盛んに行われ、理論としては集合論やグラフ理論、情報理論あるいは人間の行為の心理学的モデルなどの適用が行われていた。しかし、このような学際的な設計方法に関する研究も、しだいに建築の分野では独自の発展を遂げていくことになる。というのも、建築の場合、それ以外のものの設計とは若干異質なもののあることが感じられてきたからである。それは結局、建築の問題にしている空間が人間のあらゆる生活に関連することであり、他の分野の設計対象と比較して格段に複雑であることに起因している。
このように設計行為に関する研究は社会的背景、研究的背景からその要請上、設計の手法的追求から出発したが、結局は建築空間そのものの性能を追求する一つのアプローチであったともいえる。設計行為はさまざまな展開をみせるが、設計の本質的な行為は建築空間のモデル分析の局面にあると考えられる。つまり、建築空間の価値はさまざまに考えられるが、設計者が建築空間のあり方をどのような側面でとらえようとするかで建築空間の分析の仕方が異なる。すなわち建築空間のモデル分析とは、建築空間と人間生活とのかかわり合いを問題にしており、建築空間のどのような側面と人間生活のどのような側面との対応関係を重視するかでモデルの構成が変わってくる。そして、建築空間と人間生活との対応関係としてモデルを設定するために設計条件が必要になると考えられる。さらにそうした設計条件を整えるために与条件の整理を行うものと考えられよう。換言すれば、建築空間を評価する側面が設計者によってはっきり意識されていなければ、その設計にとって必要かつ十分な設計条件は不明であり、またそのためにどのような与条件を導いたらよいかわからなくなる。したがって設計者は、建築主から設計を依頼されるに際し、建築主からどのような要求を確認しておけばよいか、またどのような情報を整えておくべきかをあらかじめ知っていなければならない。そのためにチェックリストなどを使うが、これは、設計者が自ら設計条件を設定するために必要な情報を収集するためのものであり、医師が患者の症状を診断するための検査資料のようなものである。ただ設計の場合、医師の診断と異なるところは、建築主の要求がかならずしも類型化されにくいこと、また設計者の建築空間に対する価値観にかならずしも普遍性のないところから、チェックリストは、どの設計者にも共通のものではないことである。たとえば、建築空間と人間生活との対応関係のモデルといっても、単に機能的な要求を満たすだけでなく、心理的な側面を重視することもあれば、生産的あるいは経済的な側面がより問題になることもある。
いずれにしても、どのような価値基準に基づいて建築空間のどのような側面を問題にし、どれだけはっきりしたモデルをつくりうるかが設計の方法の体系化にかかわる。たとえば、人や物が移動する線を動線というが、動線の処理は、どのような建物にでも評価対象になりうる設計上の問題である。同じ種類の動線ならばなるべく短くなるようにし、異なる種類の動線ならば、なるべく交わらないようにするのが一般的な設計上のくふうである。とくに不特定多数の人間が出入りする百貨店のような大規模な建物の場合には、非常時の避難のための群集処理を考え、いかにわかりよい動線にするかなどが問題になる。
このほか、建物の使いやすさを考えた室配置や、室の大きさを案配した平面型の問題や、それが建物としてできあがったときの造形性の問題など、建築設計ではさまざまな側面から分析し検討するのが建築空間のモデル分析の局面であるが、こうして個々の問題をそれぞれに解決しても、それが総合化される局面で矛盾がおこったりするのが普通である。たとえば、造形性を優先させれば使い勝手が悪くなるとか、使い勝手も形もよいが経済的に成り立たないなどのことはおこりがちであり、それらを調整するのが建築設計の総合の局面といえる。つまり個々の問題をバランスよく解決したり、ある問題を重視して他の問題の不都合さを許容したりするが、この総合化の考え方も設計の一つの主張となる。ここでは生活機能と建築の経済性との関係で平面型のモデルを検討した例を示す。
一般に建築の経済性を問題にする場合は、当初の建設に要する費用、いわゆるイニシアルコストを問題にするのが普通であるが、さらに長期の経済性を考える場合でも、維持費とかランニングコストを問題とし、建築物そのものにかかる費用が対象となっている。しかし建築物を一つの生活空間としてそこで生活する人間の動きを問題にし、施設の有効利用という観点から眺めると、また別の考え方も出てくる。たとえば、その建物で働く人間の人件費を指数として建物の経済性を考えることもできる。イギリスで行われた例であるが、既存の病院の手術部における動線の実態調査から、新しく計画する際の平面型の分析を試みた1日の看護婦の動きを追跡し、ある箇所から他の箇所へ一度移動するごとに、その間を1本の直線によって結び付けることによって得られるデータから、各所要空間ごとの結び付きの頻度を集計する。次にこれから1日の標準頻度を設定し、他の職員についても同じような資料を作成する。さらにこの標準頻度に各職員の給料の比率を乗じて重みづけを行う。こうして他の空間との結び付きの頻度のもっとも高い空間を出発点として、その空間に結び付く空間を次々に付加したプログラムを作成し、コンピュータに描かせた。
こうした平面型は生活空間として内部機能も満足し、かつ建築における経済性についてもある条件を満足したことになり、一つの設計案を得られる。つまり、この場合は、建築空間において問題としている側面もはっきりしており、また価値基準も明確であるために、平面型モデルの構造も明確にとらえられている場合といえる。
[太田利彦]
『彰国社編・刊『建築の設計――企画から管理まで』(1971)』▽『池辺陽著『デザインの手法――人間未来への手がかり』(1973・丸善)』▽『S・A・グレゴリー著、寺田秀夫訳『設計の方法』(1974・彰国社)』▽『太田利彦著『設計方法論』(1981・丸善)』