翻訳|cosmology
宇宙とは、後述のように、この世界いっさいのことをいうのであるから、あらゆる自然哲学の体系は、宇宙論の様相を帯びることになる。「未開社会」にも、自らの住む大地の構造や、人間の死後の世界としての冥府(めいふ)の存在、天空の現象を説明するためのモデルなどは明確にみられる。もっともごく一般的にいえば、夜間狩猟を行う民族には、位置確認のために、星辰(せいしん)への関心が強く、農耕主体の文化にあっては、大地と太陽とが関心の主体になる。
古代文明は、発祥時からそれぞれに宇宙論をもち、洗練化しているが、なかでも、古代バビロニアの中心であるシュメールの伝統は、マルドゥクという神を中心とした神話的宇宙生成論ばかりでなく、克明な天体観測と数学的手法の開発によって、ギリシアに影響を与えたという点で重要視されている。
ギリシアでの宇宙構造論は、後述のように精緻(せいち)を極めたもので、天体現象の記述にもみごとな成果をあげたが、ユダヤ・キリスト教においてきわめて特徴的な、始点と終点を明確に定めた宇宙的な時間像と、コスモスとしてのギリシア的な空間構造論とがアマルガム化したところに西欧的宇宙観の形成がある。というのも、他のほとんどの文化圏において、宇宙論的時間はつねに回帰的かつ円環的な構造をもつからである。また宇宙の発祥については、論理的にいって、不問に付すか、超自然的な何ものかに頼らざるをえないという事情は今日でもあり、今日の科学的宇宙論といえども、真の意味での宇宙の発祥を論ずることはできない点は、あらかじめ確認しておく必要があろう。
[村上陽一郎]
『淮南子(えなんじ)』「斉俗訓(せいぞくくん)」によれば、宇は天地四方、宙は古往今来の義とされているごとく、宇宙とは、空間的、時間的な世界のいっさいを包括する概念である。その宇宙の形態、生成、運命などについて考察するのが宇宙論であるが、なかでもその構成を扱うものを宇宙形態論cosmography、また起源を論ずるものを宇宙生成論cosmogonyとよび、区別することもある。
人間がその住む世界について、早くからなんらかのイメージを抱いていたことは考えられるが、それがある程度まとまった形で表現されるようになるのは、紀元前数千年ごろ、メソポタミアをはじめ各地に出現した高文化以後のことである。普通、神話の形で述べられるこれら宇宙論では、まず宇宙の起源が主題とされるが、それには大別して、超人間的存在による製作・創造と、自然発生という二つの型がある。創造説は創造神の性格(単独か複数かなど)による変様があり、自然発生説には宇宙卵や原人、ないし混沌(こんとん)からの成立譚(たん)などが含まれる。これと並んで、宇宙の形態も重要な主題をなす。その際しばしばみられるのは、宇宙がなんらかの中心、軸をもつという表象、ならびにその空間的分化(たとえば天界、地上、地下の区別)の考えであり、後者には神々、人間、死者という住者の区別が対応することが多い。
宗教(神話)的宇宙論の内容は多様であるけれども、それらにはいくつか共通した特徴が認められる。一つは、物理的・自然的宇宙と人間とがかならずしも分化せず、融即(ゆうそく)していることであり、他は、宇宙論が単に知的、理論的なものにとどまらず、同時に実践的な機能を果たしていることである。たとえば宇宙の起源は、ほとんどつねに人間自らの起源と結び付けて語られる。そして宗教的宇宙論は、ただ世界が何であるかを告げるのではなく、そのなかに人間(集団)を位置づけることで、生に秩序と意味とを与えるのである。
歴史的にみると、こうした宗教的宇宙論が没落し、より合理的な思考形式に所を譲ることは、古代ギリシアやインドに例証される一般的傾向である。それはまず哲学的宇宙論に、そして近代以後はさらに科学的宇宙論によって置き換えられてきた。これは、宇宙が人間から切り離されて対象化されるとともに、宇宙論のなかの知的、理論的な要素のみが分化、展開したものといえよう。
[田丸徳善]
宇宙論とは宇宙全体の性質、形状などを論ずる学である。かつてはこの「学」の意味は形而上(けいじじょう)学の意味で用いられたが、今日では自然科学の意味で用いられるようになった。ちょうど原子論が、古くは形而上学的な意味で用いられ、原子という実在がみいだされる以前の段階で考えられる用語であったのに対し、20世紀初頭から原子が現実の対象となるに及んで、自然科学的な原子論とでもいうべき原子物理学が誕生した事情と類比されよう。しかし宇宙論の場合には、自然科学的宇宙論を宇宙物理学といわず、やはり同じ用語で宇宙論とよんでいるため混乱を招きやすい面がある。
[藤村 淳]
今日、いわゆる宇宙を考えるとき、それはいくつかの階層から成り立っている。すなわち、惑星系、恒星、星間物質、銀河、銀河集団、そして全宇宙などである。これらの諸階層はそれぞれに質的に異なった存在であり、異なった法則が支配し、自然科学的な対象として扱うとき、おのずからアプローチの方法が異なっている。これらのうち、とくに「全宇宙」を対象として扱う科学が、今日、限定された意味でいわれる宇宙論である。これを宇宙物理学といわないのは、宇宙物理学という用語が、もともと恒星、星雲、銀河集団、星間物質などを扱う物理学として出発した科学に与えられた名称であり、全宇宙という対象のみではないもっと広い対象を包括しているからである。恒星、星雲、銀河集団などの物理学はこの宇宙物理学の各分科に属する。それゆえ、その出発点を異にしているが、全宇宙を扱う宇宙論もここに加えるとすれば、宇宙論は宇宙物理学の一分科ということになろう。今日ではむしろこのような見方が多く行われている。
広い対象を包括する用語としては宇宙物理学よりも宇宙科学のほうが妥当とする見解もありうるが、これも歴史的ないきさつにより、宇宙科学という用語は宇宙空間科学、すなわち惑星空間科学の意味で用いられることが多い。したがって宇宙論を宇宙科学の一分科とよぶことは現状では適切でない。
[藤村 淳]
このように用語上の混乱が生じたのは、天界に関する人間の思索が、初め漠たる宇宙観として始まり、それが比較的身近な対象、つまり観測可能な領域から逐次解明の過程を進め、そのつどその範囲を宇宙とよんでいったという事情がある。いわば科学の対象となる宇宙は逐次その領域を拡張していったのである。そして「全宇宙」が自然科学の対象として登場したのは20世紀以後のことに属し、アインシュタインが一般相対性理論を適用して考察した時期以降とみるべきであろう。この狭義の意味での宇宙論の進歩は目覚ましく、宇宙物理学としての内容を急速に整えてきた。
今日いう宇宙論はこのような意味で宇宙(全宇宙)という自然科学的な特定の対象を考究する科学であり、漠然とした宇宙を想定してその存在を形而上学的に論ずる一種の思想なのではない。
しかし物質観としての原子論が原子の諸科学とかならずしも無縁でないように、初めに人間が抱いた宇宙の概念そのものや、また宇宙観は、宇宙論を含む今日の宇宙の諸科学とけっして無縁ではなく、むしろその源泉の一つとなっている。実際、人間の知性が想定しうる全領域、あらゆる存在をすべて包括する世界の枠組みを宇宙とよぶ発想は、今日の宇宙の諸科学の出発点をなしたものであっただろう。それを実在する客観的世界とみなし、そこに天界と地上界を区別し、天界に対する考察からしだいに精密な宇宙観を築き上げてゆく努力が、今日の宇宙の諸科学を誕生させたのである。宇宙観を中心に、広く宇宙の存在様式に対し思弁的な考察を加えることを宇宙論とよぶことも、ことばの文字どおりの字義や過去のいきさつからして、否定できない一面をもっているであろう。
[藤村 淳]
古代人にとってその行動できる範囲、したがって想定できる範囲はかなり限られていた。それが彼らの世界であった。しかし同時に彼らは、その世界とは異なるもう一つの世界を知っていた。天界である。彼らの手には届かない世界であったが目には映じた。想定しうるすべての範囲を称して宇宙とよぶとすれば、ここで宇宙は天界と地上界に大別される。天界は高く深くきわまりないゆえに聖であり、神に属し、大地は人間に属した。
天界に知的な解釈を試みたピタゴラス学派は、大地を中心とする同心球上に天体を位置づけ、天体の運行の法則をハーモニーのなかにとらえることで天体を秩序づけた。日と月を除けば天体は光点であり、その軌跡は幾何学的な線である。天体は物質的なものであるよりは幾何学的な世界であった。
天体の秩序のなかに普遍原理を模索したプラトンは、幾何学的美のなかにその原理を発見し、ピタゴラスの整数的・音楽的な美にかえて、円という図形の完全さという美を天を象徴するものとした。それは純化された理性の美であり、その世界像は多分に精神的世界の美と共通性をもっている。天界に対するこの幾何学的描像と基礎原理としての円という思想は、その後に強く受け継がれ、非物質的な物質「エーテル」を導入したアリストテレスにおいてもその形を保ち、恒星天球という有限宇宙論を完成させ、さらにプトレマイオスの周転円、離心円に基づく天動説によって観測と矛盾しない天界の解釈として実を結んだ。完結された幾何学的宇宙観による精緻(せいち)な体系というべきであろう。
[藤村 淳]
コペルニクスの地動説(1543)もまた、この幾何学的宇宙像と円の思想を受け継ぐものであった。この事情は、実際、記述の単純化ということと並んで、プトレマイオスが導入したエカントが一様な等速円運動を妨げることへの不満から、円の公理を貫徹させようと望む意図がコペルニクスの地動説の一つの契機になったことからうかがわれる。しかし地動説の重要な意義は、いうまでもなく、太陽を中心として整然と配列された惑星群という太陽系の像、新しい宇宙像を打ち立てたことであった。これは、天と地という単純な二元的対立関係、すなわち地球の特権的地位にかえて、中心的存在としての太陽を位置づけることで、そこに働く力を予想させるもの、あるいは将来、慣性系の発見を先導するものとなったからである。さらにブルーノはここから恒星天球の否定と恒星が無限の距離に存在する可能性を引き出し、地球がありふれた一天体となったこととあわせて無限宇宙と諸世界を論じた。宇宙観はここで大きな変貌を遂げることとなる。そしてこの変革に大きな功績があったのはガリレイの望遠鏡を用いての観測結果であった。月表面の凹凸、太陽の黒点、金星の満ち欠け、木星の衛星の発見は地動説を支持し、恒星の大きさが見かけよりはるかに小さいこと、および銀河が無数の星でできていることの発見は無限宇宙を裏づけることとなった。
[藤村 淳]
太陽中心説の確立は、力の中心としての太陽という描像に始まり、おのずから宇宙を物質的な諸力によってみる方向へ進展させるものであった。ケプラーの楕円(だえん)軌道の発見(『新天文学』1609、『世界の調和』1619)は、円を基礎としていた幾何学的描像を一掃し、またデカルトは渦動説による宇宙像を樹立したが、物質間に働く力――万有引力によって天体の運動を説明し、力学的物質によって宇宙像を書き換えたのはニュートンである。彼は地表上での物体の落下と月の運動を対比し、月のような天体も地球上の物体と同等とみなすことによってケプラーの法則を与え、天体運動を力学の問題に還元した(『プリンキピア』1687)。太陽系は力学の問題となり、天体力学の進展とともに、機械論的自然観に基づく力学的物質によって構成される宇宙という描像が樹立された。一方、太陽系の成因についても、たとえばカント‐ラプラスの星雲説が登場してその科学的解明が意図される状況となった。そしてこの力学的宇宙像は、やがて19世紀初めに研究された恒星の世界でもニュートン力学が成り立つことを示す連星の発見によって、いっそう確かなものとなった。
[藤村 淳]
宇宙の描像に一転期を画したのは、F・W・ハーシェルによる島宇宙(銀河系外天体)の発見である。彼は恒星の運動に注目してその集団(恒星系)の問題に取り組み、夜空にかかる天の川が恒星の集団であることをみいだし、太陽系を含むわれわれの銀河のモデルを提出した(1785)。のちに太陽系がけっして銀河の中心付近にはないことが判明したことは、第二の地動説の役割を果たしたものといえよう。18世紀の末までにハーシェルは、われわれの銀河以外の星の集団、すなわち他の銀河を発見していた。そしてこの宇宙の枠の拡大は、19世紀に入って分光学的観測やドップラー効果などによる観測手段の進歩とともに新たな数多くの銀河の発見という形で確定された。距離の定量的決定も、ベッセルによる視差を用いた恒星の距離決定から、ケフェウス型変光星を手掛りにする銀河の距離の決定へと進んだのである。これは宇宙の構造の発見であった。
[藤村 淳]
一方、ドップラー効果による恒星、銀河などの視線速度の決定からは、それらがいずれも遠ざかりつつあること、すなわち宇宙が膨張しつつあることが判明した。その遠ざかる速度がほぼ銀河までの距離に比例することを示したハッブルの法則の提示によって、宇宙の一様性が示されるとともに、宇宙の描像は静的なものでなく、動的なものへと転換された。今日の宇宙論は、この膨張しつつある全宇宙を対象とする科学研究の一分科なのである。
[藤村 淳]
全宇宙を対象とする科学理論の基礎は、アインシュタインの一般相対性理論(1916)によって与えられた。大域的対象を扱うことができるこの理論の典型的な適用は全宇宙のふるまいの取扱いだからである。アインシュタイン自身は静的宇宙の解を与えたが、その後、A・A・フリードマンらによって膨張宇宙の解が得られ、宇宙論の基礎として一般相対性理論は急速に力を増した。オルバースの背理やハッブルの法則の発見は、膨張する宇宙を裏づけていたからである。この状況のなかで1950年前後にガモフが提唱したビッグ・バンによる宇宙の進化説が有力となり、とりわけ、ペンジアスとR・W・ウィルソンによる宇宙背景放射(3K放射)の発見(1965)以降は、ビッグ・バンによる宇宙生成とその進化という考えが採用されるに至り、宇宙を定常的にとらえようとする定常宇宙論は影を潜めることとなった。
[藤村 淳]
1960年代以降、装置の精度の向上とともに、可視光以外の新たな観測手段(電波、X線、γ(ガンマ)線、赤外線、ニュートリノ、重力波など)も次々と導入されて、観測データの蓄積が進み、その内容は多様化、精密化した。宇宙における銀河と暗黒物質(ダークマター)との一様な密度分布や、現在の宇宙膨張が減速的なものであること、粒子的地平線(観測される宇宙の大きさ)がほぼ150億光年であることなどは、今日の宇宙モデル考察の基本的な知見となっている。これに伴って膨張宇宙の理論的な内容付けも進み、1980年代初頭には佐藤勝彦(かつひこ)(1945― )やアラン・グースAlan Harvey Guth(1947― )によるインフレーション宇宙の提唱もあった。これは宇宙の始まりの初期に急速な加速度的膨張(インフレーション膨張)があったとするもので、観測される宇宙背景放射(温度3Kのマイクロ波黒体放射)の一様性と粒子地平線にかかわる因果性の問題(粒子地平線の困難)や、宇宙が限りなく平らに近いという平坦性の問題がうまく説明され、また素粒子物理の大統一理論Grand Unified Theory(GUT)との関連で指摘される磁気モノポール(磁気単極子)の困難も回避された。とはいえ、宇宙が真空状態から始まり、重力との相互作用による相転移が原始火の玉の形成をもたらしたとするインフレーション宇宙の考えには、その基礎となるべき量子重力論の建設がまたれる。
[藤村 淳]
インフレーション理論も積み残した重要な課題の一つに、宇宙創生の問題がある。膨張してきた現在の宇宙を逆にたどってその始原にさかのぼってゆくとき、体積ゼロのなかに無限大の温度をもつ無限大の質量が想定されねばならない。これはいわば物理法則の成立の埒(らち)外にある「特異点」であり、この事情は、宇宙創生の問題を宇宙論におけるきわめて困難な問題点としている。ここでは、いわば「無からの創生」が課題となるからである。これを解決する試みとしては、無の「ゆらぎ」からトンネル効果によって宇宙が生まれるとするビレンキンAlexander Vilenkin(1949― )の考えがあり、またホーキングは宇宙が虚数の時間として始まるとする「無境界仮説」を導入して特異点の消去を図った。ほかに超ひも理論(超弦理論もしくはスーパーストリング理論ともいう)からの説明も試みられ、ブレーンワールド(膜宇宙)の理論の提唱もあって解決への努力が重ねられている。
宇宙の創世を量子論の立場から追求しようとする限り、時空を量子力学的に取り扱う理論が必須(ひっす)であるが、これは未成立である。そして、現在の大統一理論にさらに重力をも組み込んで自然界に存在する基本的な四つの力(強い力・電磁力・弱い力・重力)を統一しようとする、いわば「超大統一理論」を目ざす研究の方向にも、まだ前途はみえていない。お互いになじみがたいとされる量子論と一般相対論との統合は、まさに21世紀物理学の課題なのであろう。
[藤村 淳]
『C・ブラッカー、M・ローウェ編、矢島祐利・矢島文男訳『古代の宇宙論』(1976・海鳴社)』▽『ローリー・H・ジョーン編、小尾信彌・武部尚雄訳『現代の宇宙論』(1977・海鳴社)』▽『H・フランクフォート著、山室静・田中明訳『古代オリエントの神話と思想――哲学以前』(1978・社会思想社)』▽『P・C・W・デイヴィス著、戸田盛和・田中裕訳『宇宙における時間と空間』(1980・岩波書店)』▽『佐藤文隆著『ビッグバンの発見――宇宙論入門』(1983・日本放送出版協会)』▽『J・シャロン著、中山茂訳『宇宙論の歩み』(1983・平凡社)』▽『E・ローゼン、L・モッツ著、菊池潤・杉山聖一郎訳『宇宙論全史』(1987・平凡社)』▽『リチャード・モリス著、松浦俊輔訳『越境する宇宙論――科学の極限』(1991・青土社)』▽『ティモシー・フェリス著、野本陽代訳『銀河の時代――宇宙論博物誌』上下(1992・工作舎)』▽『池内了著『宇宙論のすべて』(1998・新書館)』▽『A・コイレ著、野沢協訳『コスモスの崩壊――閉ざされた世界から無限の宇宙へ』新装復刊(1999・白水社)』▽『パリティ編集委員会編『宇宙論はいま』(2003・丸善)』▽『アレニウス著、寺田寅彦訳『史的に見たる宇宙観の変遷』(岩波文庫)』▽『ハッブル著、戎崎俊一訳『銀河の世界』(岩波文庫)』▽『佐藤文隆著『宇宙論への招待――プリンキピアとビッグバン』(岩波新書)』▽『黒星瑩一著『宇宙論がわかる』(講談社現代新書)』▽『佐藤文隆著『現代の宇宙像』(講談社学術文庫)』▽『小田稔著『X線天文学』(1975・中央公論社)』▽『日本物理学会編『宇宙と物理』(1983・培風館)』▽『パリティ編集委員会編『素粒子物理――クォークから宇宙まで』(1988・丸善)』▽『早川幸男他編『現代の宇宙論』(1988・名古屋大学出版会)』▽『小玉英雄著『パリティ物理学コース 相対論的宇宙論』(1991・丸善)』▽『日本物理学会編『現代の宇宙像』(1991・培風館)』▽『佐藤文隆・小玉英雄著『岩波講座現代の物理学6 一般相対性理論』(1992・岩波書店)』▽『アラン・H・グース著、はやしはじめ・はやしまさる訳『なぜビッグバンは起こったのか――インフレーション理論が解明した宇宙の起源』(1999・早川書房)』▽『佐藤文隆著『宇宙物理』(2001・岩波書店)』▽『永長直人著『物質の中の宇宙論』(2002・岩波書店)』▽『スティーヴン・W・ホーキング著、林一訳『ホーキング、宇宙を語る――ビッグバンからブラックホールまで』(ハヤカワ文庫)』
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(二間瀬敏史 東北大学大学院理学研究科教授 / 2007年)
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…欧米では,宇宙物理学cosmic physicsという言葉はあまり用いられず,むしろ天体物理学astrophysicsが用いられる。この場合,宇宙全体を大局的に論ずる学問分野は,宇宙論cosmologyとして区別される。19世紀の終りころまでの天文学では,天体力学が主流であったが,20世紀に入ってから,とくに1920年代に入り量子力学が完成してからは,天体物理学の分野が大きく発展した。…
… 朱熹が理気によって説明を与えた領域は,仮に今日のわれわれの学問分野によって区切ってみると,ほぼ以下のように整理することができる。(1)存在論(宇宙論),(2)自然学,(3)倫理学,(4)人間観,(5)心理学,(6)認識論,(7)宗教哲学,(8)歴史哲学,(9)文学論。次に,この分類に沿って簡単に解説してみよう。…
…28年ころからはオランダに居を移し,以後約20年間各地を転々としながらこの国に隠れ住んだ。オランダでの〈最初の9ヵ月〉は形而上学的思索に専念したが,ローマで観察された幻日現象の報告をきっかけに自然学の研究に移り,33年には《光論》と《人間論》とから成る《宇宙論》を完成した。しかし同年のガリレイ断罪を知ってその発表を断念し,代りに《屈折光学》《気象学》《幾何学》の三つの〈試論〉に,序文として《方法叙説》を付けて37年に刊行した。…
…1156年ころシャルトル司教座尚書となる。《宇宙論》と題され,1150年ころシャルトルのティエリーに捧げられた著作で知られる。これはカルキディウスの《ティマイオス注解》を用い,自然に生命を与える宇宙霊魂は神のイデアに従って働くと見たもので,シャルトルのベルナールとも一致する見解である。…
※「宇宙論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
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