日本歴史地名大系 「鬼ノ城跡」の解説
鬼ノ城跡
きのじようあと
古代の山城跡。立地する鬼城山は吉備高原の最南端に位置し、標高約四〇三メートル、四周の切立った天険の要害をなす。山頂近い八合目ないし九合目辺りを、山腹を縫い、谷を渡って、延々と連なる城壁が五条の谷を抱いてついには鉢巻状に結ばれ、城壁の全周二・八キロ、城内面積は約三〇万平方メートルに達する。国指定史跡。城壁はおおむね幅七メートル、高さ六ないし七メートル、内側と外側とを石積みによって固めた両面築造法を原則とし、上半部に版築による土塁がのる。外側石垣の積み方は一様でなく、方形の石材を用いた重箱積み、長石の上端を横位にそろえる布積み、小口より奥行の長い石材を束ねたような牛蒡積み、階段積み、神籠石状の構築法などさまざまである。しかも城郭線は、各所において折を形成しつつ、次々と結節するという特徴をもち、おそらく一二〇ヵ所以上の折を構成していたものと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報