日本歴史地名大系 「鰐浦」の解説
鰐浦
わにうら
〔中世〕
文正元年(一四六六)八月一〇日の宗成職書下(町中判形之写)に「おうよりわにの浦まてのくわて」とみえ、これらの知行が野瀬氏に安堵された。「海東諸国紀」では「臥尼老浦十余戸」とあるのが当地とされ、同書の対馬之図に完尼老浦とあり、朝鮮半島の富山浦(釜山浦)まで四八里であるという。成宗七年(一四七六)対馬島宣慰使の金自貞一行が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報