鰐浦(読み)わにうら

日本歴史地名大系 「鰐浦」の解説

鰐浦
わにうら

[現在地名]対馬町鰐浦

中世よりみえる津湊。朝鮮半島に渡海する拠点で、近世にはその管理・監視のために関所が設置されていた。

〔中世〕

文正元年(一四六六)八月一〇日の宗成職書下(町中判形之写)に「おうよりわにの浦まてのくわて」とみえ、これらの知行が野瀬氏に安堵された。「海東諸国紀」では「臥尼老浦十余戸」とあるのが当地とされ、同書の対馬之図に完尼老浦とあり、朝鮮半島の富山浦(釜山浦)まで四八里であるという。成宗七年(一四七六)対馬島宣慰使の金自貞一行が佐須奈さすな(現上県町)矢櫃やびつを経て五月六日「完于羅浦」に到着、「人居十余戸、産業粛条、有石田、只種麻麦、亦不豊茂」と記している(「朝鮮王朝実録」同年七月丁卯条)。明応七年(一四九八)当浦の収穫物を郡主が検分するに際して、在地で負担すべきものとして銭・米・馬糧・魚介類があげられる(同年四月一〇日「宗盛俊判物」洲河家文書)。永正八年(一五一一)三月みなと(現上県町)に来着した三人の唐人(朝鮮半島人)を、四月「わにのうら」に移して酒などを供し、その後高麗に送還している。同年四月中旬日本国王使船の御所丸が朝鮮半島に渡航、九月日本国王使船の御所丸が対馬島主の特送船とともに出航、同九年一月六日には屋形(少弐殿使船)など大小八艘の船が当浦に着いている。同年五月大内船六艘が出船して釜山入港。同一〇年一二月西泊にしどまりに漂着した唐人八名が鰐浦から渋川経実を使者として朝鮮に送還されている(以上「朝鮮送使国次之書契覚」)。宗氏は朝鮮半島に渡海する船舶を監視するための検問所を当浦に設置した。元亀三年(一五七二)から天正三年(一五七五)までの鰐浦の朝鮮王朝渡航に関する船見役人の検査記録である「朝鮮送使国次之書契覚」によれば、元亀三年三月二四日頃、周防の大内教満の大船が鰐浦で検査を受けて朝鮮半島に向けて出航しているが、この通交権に当たる図書(印)は「教満ノ印、御西ノ印也」とされ、前対馬島主の宗義調が所持していたようで、また実際に「御使」として渡航したのは蔵本孫左衛門(対馬島民であろう)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鰐浦の言及

【上対馬[町]】より

…漁業以外では杉,ヒノキの造林,シイタケ,肉用牛の生産が盛ん。国境の町のため海栗(うに)島には航空自衛隊レーダーサイト,鰐浦には海上自衛隊上対馬警備所と海上保安庁トーキング・ビーコン局,比田勝北東部の権現山にはロラン局,舟志湾には東洋一の電波灯台がある。海岸線は壱岐対馬国定公園の一部で,鰐浦ヒトツバタゴ自生地は天然記念物。…

※「鰐浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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