鵜甘神社(読み)うかんじんじや

日本歴史地名大系 「鵜甘神社」の解説

鵜甘神社
うかんじんじや

[現在地名]南条町堂宮

山王さんのう山の西麓に鎮座する。祭神草葺不合うがやふきあえず尊・大山咋おおやまくい尊・天津彦火瓊瓊杵あまつひこほのににぎ尊・伊邪那岐いざなぎ尊・大国主おおくににし大神・曾博王神。旧郷社。「越前古名考」は当社を「延喜式」神名帳にみえる敦賀つるが郡の「伊部磐座イハクラ神社」に比定している。「越前国名蹟考」では「太平記」巻一八(瓜生挙旗事)にみえる「飽和あくわノ社」に比定する。また社伝は今立いまだて郡の式内社鵜甘神社(現福井県池田町)の前身とも伝えるが、つまびらかではない。江戸時代は杣山日吉そまやまひえ社、または日吉山王権現とよばれ、杣山一三ヵ村(宮谷・堂・金粕・谷山・阿久和・中小屋・鯖波・別所・奥野々・鋳物師・牧谷・上野と現今庄町の八乙女)の惣社として崇敬された。「南越温故集」に記す社記によれば、白鳳時代、近江日吉社の上中下二一社を勧請し、社家三六軒、神子八人、宮仕六人、社領七五町があって、繁栄したと伝える。


鵜甘神社
うかんじんじや

[現在地名]池田町水海 宮ノ谷口

水海みずうみの東方の山裾みや谷口たにくちに鎮座する。祭神は応神天皇・神功皇后・武内宿禰賀宝かほう五所社の祭神(保食神・天御中主尊・太田命・大国主命・御年神)合祀。境内に北条時頼を祀る時頼ときより神社がある。旧村社。社伝では雄略天皇七年の創祀とする。鎌倉幕府執権の北条時頼が廻国の途次当社に参拝し、御供料七三石、別火料四反余などを寄進、その後福井藩主松平氏も社地を免租し、白銀を奉納したという。享保六年(一七二一)の「鯖江藩寺社改牒」は八幡宮と記し、最明寺さいみようじ堂と賀宝五所権現社を併記する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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