中国、江蘇(こうそ/チヤンスー)省南東部から上海(シャンハイ)市を流れる揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン)(長江(ちょうこう/チャンチヤン))の支流。太湖(たいこ/タイフー)の東、青浦(せいほ)県の定山(ていざん)湖に源を発し、東流して上海県閔行(びんこう)の東で北に折れ、上海市街の東部で呉淞江(ごしょうこう/ウーソンチヤン)(蘇州河(そしゅうが/スーチョウホー))を合流したのち、呉淞口に至り揚子江に注ぐ。全長114キロメートル。古くは直接海に注いでいたが、長江三角州の発達により流路が変化し、しだいに揚子江に注ぐようになった。宋(そう)代になり江南地方の開発が進展すると、黄浦江の水路としての重要性が増した。1404年明(みん)の政治家夏原吉(かげんきつ)が葉宗行(ようそうこう)の上言により大規模な浚渫(しゅんせつ)を行い、揚子江水運と直結した。そのため長江三角州の東西の幹線として数多くの小運河と連結し、経済的価値を高めた。清(しん)末、上海の開港後は上海―呉淞口間がたびたび大浚渫され、数万トン級の大型船舶の航行が可能となった。川の両岸に数多くのバース(係留地)が設けられ、上海市の旺盛(おうせい)な経済活動を支えている。
[林 和生]
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中国,上海市にある長江(揚子江)下流の支流。太湖の東,淀山湖を直接の源とし,松江を経て上海市街を貫流し,蘇州河を合して呉淞(ウースン)口で長江に入る。古代の地理書〈禹貢〉にみえる三江のうちの東江を前身とし,治水工事が歴代加えられた結果,今の流路になった。特に,明の永楽年間(1403-24)の夏原吉の計画によって,今の黄浦江の下流部が作られた。上海が近代に工業・貿易の面で全国第一の都市になったのは,黄浦江の存在が大きい。現在下流部は製鉄・造船・機械などの重工業地帯となっている。
執筆者:秋山 元秀
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