精選版 日本国語大辞典 「黄道周」の意味・読み・例文・類語 こう‐どうしゅうクヮウダウシウ【黄道周】 中国、明末の忠臣。号は石斎。字(あざな)は幼玄。福王の時、礼部尚書、唐王の時、武英殿大学士として明朝の回復をはかったが、清軍に捕えられ、南京で殺された。文章書画にすぐれ、多数の著作がある。(一五八五‐一六四六) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「黄道周」の意味・わかりやすい解説 黄道周 (こうどうしゅう)Huáng Dào zhōu生没年:1585-1646 中国,明末の書家,文人画家。字は幼元,号は石斎,福建省漳浦の人。天啓2年(1622)の進士で,少詹事となり,明が滅ぶや,福王,唐王を擁立して明室の回復に努めたが,清軍に捕らえられ殺された。文章,書画にすぐれ,倪元璐(げいげんろ)とともに明末烈士の画家として知られ,山水,蔬菜,松石をかいた。代表作は《松石図巻》(大阪市立美術館),また《易象正義》《黄石斎集》などの著がある。執筆者:曾布川 寛 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「黄道周」の意味・わかりやすい解説 黄道周【こうどうしゅう】 中国,明末の政治家,画家。字は幼元など。号は石斎。史・兵・礼の3部の尚書を務め,諸学に通じた学者として知られたが,明朝滅亡後,清に抵抗し捕らえられて死んだ。白描風の松石図を好んで描き,磊落(らいらく)で格調高い画風は当時の文人画に新風を吹き込んだ。→関連項目倪元【ろ】 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄道周」の意味・わかりやすい解説 黄道周こうどうしゅうHuang Dao-zhou; Huang Tao-chou [生]万暦13(1585)[没]紹武1(1646)中国,明末の忠臣。 漳浦 (福建省 漳浦県) の人。字は幼平。天啓2 (1622) 年の進士。崇禎 17 (44) 年明が滅び,南京に福王が立つと礼部尚書として新帝を助けた。福王が清軍に捕えられると,次いで唐王を奉じ,武英殿大学士として明室の回復に努め,みずから江南方面におもむいたが清軍と戦って敗れ,捕われて没した。清廉剛直の性格で俗流におもねらず,その学行は高かった。文章書画をよくし,天文暦数に精通,著書も多い。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by