ガルニエ)(読み)がるにえ(英語表記)Robert Garnier

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ガルニエ)」の意味・わかりやすい解説

ガルニエ(Marie Joseph François Garnier (Francis Garnier))
がるにえ
Marie Joseph François Garnier (Francis Garnier)
(1839―1873)

フランスの海軍士官。1860~1862年に中国とアンナンに軍事遠征を行い、1866年にはドゥダール・ド・ラグレErnest Marc Louis Gonzague Doudart De Lagrée(1823―1868)の探検隊に加わってメコン川流域を探検した。プロイセンフランス戦争では帰国してパリ防衛戦で戦ったが、その後インドシナに戻り、中国に渡って揚子江(ようすこう)流域を探検した。1873年、コーチシナ総督の命を受けてハノイに侵攻し、清(しん)朝の黒旗軍の迎撃にあって戦死した。

[本池 立]


ガルニエ(Tony Garnier)
がるにえ
Tony Garnier
(1869―1948)

フランスの建築家。オーギュスト・ペレと並ぶ現代建築の先駆者。リヨン生まれ。同地の美術学校に学び、1899年ローマ大賞を獲得してローマに留学。建築における鉄筋コンクリートの重要性をいち早く理解しただけでなく、都市を一つの有機的組織体として把握、また彼の社会主義的な考え方はリヨン市長エリオの共鳴をよび、一連の公共建築を委任される。公営と畜場(1909~13)、競技場(1913~16)、医療施設(1915~30)、電話交換局(1927)、「レ・ゼタジュニ」とよばれる住宅地(1928~35)などを設計。鉄筋コンクリート構造特質を生かしたピロティや陸(ろく)屋根、ガラス窓は近代建築典型となった。ローマ留学のころから手がけた産業都市の計画案は『工業都市』(1917)として出版され、後世に大きな影響を与えた。

[篠塚二三男]


ガルニエ(Robert Garnier)
がるにえ
Robert Garnier
(1544―1590)

フランスの悲劇作家。若くして詩作を始め、司法官のかたわら悲劇を書いた。初めはセネカ風の教訓を含んだ作品『ポルシィ』(1568)など、ついでギリシア悲劇風の『アンチゴーヌ』(1580)などを発表。代表作『ブラダマント』(1582)はフランス最初の悲喜劇として評価され、『ユダヤ女たち』(1583)は単調な長台詞(せりふ)が多い欠点はあるが、後の古典悲劇への道を開いた佳作とされている。

[伊藤 洋]


ガルニエ(Jean Louis Charles Garnier)
がるにえ
Jean Louis Charles Garnier
(1825―1898)

フランスの建築家。パリ生まれ。1848年ローマ大賞を得てローマに留学、アテネなどを回り54年に帰国。61年パリのオペラ座の改築コンクールに優勝、75年に落成、第二帝政下の華麗な様式を表現し、劇場建築の模範と仰がれた。モンテ・カルロのカジノ(1878)、ボルディゲーラの別荘(1872)などの建築のほか、『パリの新オペラ座』(1878~81)などの著作もある。パリで没。

[篠塚二三男]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガルニエ)」の意味・わかりやすい解説

ガルニエ
Garnier, Tony

[生]1869.8.13. リヨン
[没]1948.1.19. ロックフォールラベドル
フランスの建築家,都市計画家。近代建築の先駆者の一人。ローマ留学中の 1898年に設計した「工業都市」計画案が 1899年にローマ大賞を受賞,不朽の名声を得た。これは都市計画としても優れているが,そのなかの個々の建築物の設計において,当時まったく新しい素材であった鉄筋コンクリートを使用し,すでにピロティ形式やカンチレバー (片もち梁) 構造が構想されているなど,時代に一歩先んじた計画案であった。この計画案は,1917年に出版された。 1904年リヨン市に帰ると,市長の E.エリオの支援を受けて,リヨン市建設の仕事に生涯を捧げ,市立酪農場 (1904~05) ,食肉加工場 (1909~13) ,スタジアム (1913~18) ,22の病棟をもつグランジュブランシュ病院 (1911~27) などを建設したほか,パリ近郊のブーローニュビヤンクールの市庁舎 (1931~34) を建てた。

ガルニエ
Garnier, Robert

[生]1545. ラフェルテベルナール
[没]1590.9.20. ルマン
フランスの劇作家。力強い詩句を駆使して古典悲劇の様式を確立したルネサンス期の代表的劇作家。ツールーズで法律を修めるかたわら詩作も行なった。 1567年パリ高等法院の弁護士に赴任,翌年帰郷。 83年までに7つの戯曲を発表,不和と災害を描き,宗教戦争によって荒廃したフランスを君主政治への尊敬と協調に導こうとした。作劇法の精緻さ,筋の運びの円滑さに欠ける点もあるが,会話は表現に富む。おもな作品『ポルシー』 Porcie (1568) ,『アンチゴネ』 Antigone ou le pitié (80) ,『ブラダマント』 Bradamante (82) ,『ユダヤの女たち』 Les Juives (83) 。

ガルニエ
Garnier, Marie Joseph François

[生]1839.7.25. ロアール,サンテティエンヌ
[没]1873.12.21. ハノイ
フランスの海軍士官,探検家。清仏戦争の際,軍人として出征,その後ラグレの探検隊に参加して,メコン川に沿ってさかのぼり,各地を探検した。 1866~68年メコン川の上流から中国の雲南地方に入り,この地方の実情を調査し,さらに揚子江を経て上海に出たあと,サイゴンに戻った。この探検は前後2年にわたる困難なものであったが,多くの成果を得,そのときの記録は 73年に『インドシナ探検旅行』 Voyage d'exploration en Indochineという報告書で刊行されている。 73年太平天国の残党である黒旗軍との戦闘で死亡。

ガルニエ
Garnier, Charles

[生]1825.11.6. パリ
[没]1898.8.3. パリ
フランスの建築家。車大工の子で,1842年エコール・デ・ボザールに入学,48年ローマ大賞を獲得,その後5年間ローマ,トルコ,ギリシアで研究。 60~61年の新しいパリのオペラ座の競技設計に優勝。その作風は第二帝政時代の風潮を反映して,豪奢できらびやかである。その他の作品にモンテカルロのカジノ (1878~81) ,ボルディゲラのビラ (72) など。また著書に,"Etude sur le Théâtre" (71) ,"Le Nouvel Opéra de Paris" (76~81) がある。

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