日本歴史地名大系 「黒田宮村」の解説
黒田宮村
くろだみやむら
黒田六ヵ村の一。蛇行する
古代は「和名抄」に記す
このほか元禄年間の永代書留(西家文書)にも同様の記録があるが、いずれもそのままは信用しがたい。また菅河家は中世以来の名主の家柄であり、同家の由緒書によると、菅原道真の血統であることから菅河と名乗ったというが、史料的には不詳である。
文和五年(一三五六)菅河家の祖先采女貞国が、後光厳天皇より口宣案を下されて中務丞に任じられた(菅河仁一家文書)。その礼として同年三月に、禁裏の「殿下御方蔵人所小舎人廿人」と「殿下御方侍所小舎人十九人」に「饗料腰差酒肴座飯伍百五類」と「饗料腰差酒肴座飯伍百位類」を献上している(同文書)。西家でも応永二年(一三九五)に後小松天皇より采女永国が左近允に任ぜられたほか、永享五年(一四三三)采女国永が左近衛将監に、文明一一年(一四七九)采女貞国が左近允に、明応三年(一四九四)采女貞永が左近允に、天文一九年(一五五〇)采女清貞が左近将監に任ぜられている(西家永代書留)。このような名主の口宣案下賜の事情については、天文一九年四月に宮村長男衆(名主)が禁裏へ官職名所望を申請した西家文書があり、当村内に当時名主層が一一名いたことがわかる。
これらのうち官職名を受領した者がどれだけあったかは不明だが、同年五月付の郷中名主之事(吹上家文書)に山国・黒田と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報