黒目村(読み)くろめむら

日本歴史地名大系 「黒目村」の解説

黒目村
くろめむら

[現在地名]三国町黒目

九頭竜くずりゆう川下流の西方にあり、山岸やまぎし村の南西に位置する。西には三里浜さんりばま砂丘が広がる。「越前地理指南」に「二ケ所居ス」と記され二集落からなっていたと思われる。枝村として「山出」があった(越前国名蹟考)。「足羽社記略」は村名の由来につき「久留媛御名代、其隣村御所垣内」と述べている。天正三年(一五七五)一〇月一八日付の称名寺宛柴田勝定判物(称名寺文書)に「黒目」とある。これは真宗高田派称名しようみよう寺門徒の当村および米納津よのづ野中のなか下野しものの者たちが、一向一揆の惣大将下間頼照を討取ったことに対するもので、「此四ケ村之者ドモ、腰刀武具等致用意、弥可忠節旨被申出候」とある。


黒目村
くろめむら

[現在地名]総領町黒目

鷹志風呂たかしぶろ山の東南麓、田総たぶさ川の支流亀谷かめだに川流域に位置する。北は五箇ごか村、東は神石じんせき福永ふくなが(現神石町)。年代は不明であるが大内義隆が宍戸元源に出した軍忠状(「閥閲録」所収宍戸美濃家文書)に「今度至黒目陳執之処、息弥四郎并人数等馳走之由、代官注進到来候」とある。

元禄一一年(一六九八)福山藩領より幕府領となる。元和五年(一六一九)の備後国知行帳では高三六一・一一二石とあるが、元禄一三年の備前検地では五四〇・八六八石。江戸時代は製鉄業が盛んであったらしく数ヵ所に鑪場があったと伝える。曹洞宗泉住せんじゆ寺があり、慶安三年(一六五〇)創立とする(旧版「広島県史」)が、「水野記」は同寺を「禅宗二石九斗九升六合、和智秀盛寄之、其後天正十九年之比赤川主水没収之」とし、中世からの寺院であったことを記す。


黒目村
くろめむら

[現在地名]斐川町黒目

斐伊川支流の河口の村。久木ひさぎ五ヵ村の一つ。北はすな川・二十間にじつけん川により三分市さんぶいち村、西は福富ふくどみ村。東は宍道湖で、斐伊川の沖積作用を利用した新田開発により、東方に村域を増やしていった。当村の北西から万蔵寺まんぞうじ川、南西から五右衛門ごえもん川が流れていたが、のちにこの二川は合流し十四間じゆうしけん川となって宍道湖に注いだ。「雲陽誌」の当村湖辺の項に、長さ二四〇間とある。東の河口には野鳥が多く、松江藩の狩猟場があった。黒目鶴御場とよばれ、早稲を作って鶴を集めたという(出東村誌)。文政七年(一八二四)の有高輪切帳写(県立図書館蔵)に記載された輪は善徳ぜんとく輪・柘植田つげだ輪・壱本松いつぽんまつ輪・烏帽子えぼし輪・相場あいば輪がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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