岡田 朝太郎(読み)オカダ アサタロウ

20世紀日本人名事典 「岡田 朝太郎」の解説

岡田 朝太郎
オカダ アサタロウ

明治・大正期の刑法学者,古川柳研究家 東京帝国大学教授。



生年
慶応4年5月29日(1868年)

没年
昭和11(1936)年11月13日

出生地
岐阜県安八郡大垣町

別名
号=岡田 三面子(オカダ サンメンシ),別号=虚心,凡夫子,田上 四山

学歴〔年〕
東京帝国大学法科〔明治21年〕卒

学位〔年〕
法学博士

経歴
刑法学者として東京帝大教授をつとめ、清国法典起草委員もつとめる。正岡子規死没まで句作もしたが、のちに川柳に転じ「三面狂句集」などの著書がある。刑法学者としても「日本刑法論」など多くの著書を刊行

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡田 朝太郎」の意味・わかりやすい解説

岡田朝太郎
おかだあさたろう

[生]明治1(1868).5. 東京
[没]1936.11.13. 葉山
刑法学者。大垣藩士の子。東京大学助教授としてドイツに留学,F.リストの門に学ぶ。 1900年,帰朝して同大学教授となり,6年間在職。 1906年,清国政府招聘を受けて北京に渡り,修訂法律大臣沈家本を助けて近代的刑法の編纂にあたるかたわら,京師法律学堂において教鞭をとった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田 朝太郎」の解説

岡田朝太郎 おかだ-あさたろう

1868-1936 明治-大正時代の刑法学者。
慶応4年5月29日生まれ。ヨーロッパに留学後,明治33年東京帝大教授。39年清(しん)(中国)政府にまねかれ,法典起草にかかわる。のち早大,明大教授。川柳研究家としてもしられた。昭和11年11月13日死去。69歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。帝国大学卒。号は三面子,虚心。著作に「日本刑法論」,句集「三面子狂句集」など。

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367日誕生日大事典 「岡田 朝太郎」の解説

岡田 朝太郎 (おかだ あさたろう)

生年月日:1868年5月29日
明治時代;大正時代の刑法学者;古川柳研究家。東京大学教授;法学博士
1936年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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