沈家本(読み)ちんかほん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「沈家本」の意味・わかりやすい解説

沈家本
ちんかほん
(1840―1913)

中国、清(しん)末の法学者。普通「しんかほん」という。字(あざな)は子惇(しじゅん)。号は寄簃(きい)。浙江(せっこう)省呉興県の人。1883年(光緒9)、進士。天清知府などを経て刑部(けいぶ)(のちに法部)侍郎に至る。1902年(光緒28)、修訂法律大臣に補され、以後、民・商・刑法民事・刑事訴訟法など近代的法典編纂(へんさん)の企画を鋭意推進したが、清朝滅亡により実を結ばなかった。とくに刑法の分野では、日本人顧問岡田朝太郎(ともたろう)の協力の下に、新式刑法典『大清刑律草案』を起草している。また他方で、応急的立法たる『大清現行刑律』(1910=宣統2)をも纂修した。優れた法学者として多数の著述を残し、主たる著作集『沈寄簃先生遺書』甲・乙編のほか、中国法制史研究上貴重なものが多い。

[中村茂夫]

『島田正郎著『修訂法律大臣沈家本――人と業績』(『清末における近代的法典の編纂』所収・1980・創文社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「沈家本」の意味・わかりやすい解説

沈家本 (しんかほん)
Shěn Jiā běn
生没年:1840-1913

中国,清末の法律家。字は子惇,寄簃とも号す。浙江省呉興の人,1907年(光緒33)に清朝政府が変法自強策の一環として設立した修訂法律館において,修訂法律大臣として法体系の近代化に取り組んだ。彼が《大清律例》の改革案としてまとめた〈大清新刑律草案〉は,徹底した改革内容のため受け入れられず,憲政編査館により部分的修正にとどまる《大清現行刑律》に改め,施行された。著作集に《沈寄簃先生遺書》がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沈家本」の意味・わかりやすい解説

沈家本
しんかほん
Shen gia hen

[生]道光20(1840).7.22. 貴州,安順府
[没]1913.6.9. 北京
中国,清末の法律学者。字は子惇,号は寄い。浙江省呉興県の人。同治4 (1865) 年の挙人。刑部郎中となり,部にあること 10年,司法実務にたずさわった。その間,光緒9 (83) 年進士に合格。同 19年天津府知府,次いで保定府知府に転じた。北清事変後,西安の行在所におもむき,刑部右侍郎,次いで左侍郎となる。同 27年以降,法制の近代化が急務とされた時期に,袁世凱に推薦されて修訂法律大臣となり,修訂法律館の主宰者として,清朝滅亡にいたるまで,鋭意法制改革,近代的法典草案の起草に努めた。法の実務のみならず,歴代法制の沿革についても造詣が深く,その全集『沈寄い先生遺書』は,中国法制史の研究上欠かすことのできない参考文献である。

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