峰地 光重(読み)ミネジ ミツシゲ

20世紀日本人名事典 「峰地 光重」の解説

峰地 光重
ミネジ ミツシゲ

大正・昭和期の教育運動家



生年
明治23(1890)年7月8日

没年
昭和43(1968)年12月28日

出生地
鳥取県

学歴〔年〕
鳥取師範〔明治44年〕卒

主な受賞名〔年〕
ペスタロッチ賞〔昭和62年〕

経歴
鳥取県下の小学校教員となり、大正7年高麗小学校長就任。「人生科」としての綴方実践に取り組む。12年鳥取師範附属小訓導、13年東京の私立池袋児童の村小学校訓導となる。昭和2年帰郷倉吉町の上灘小学校長となり、5年郷土教育連盟に参加、生産教育中軸とした郷土教育を実践。11年東郷小校長。傍ら4年「綴方生活」創刊に同人として参加、“調べる綴方”を提唱した。17年生活綴方弾圧の手が及び、治安維持法違反容疑で検挙されたが、起訴猶予。以後農業に従事するが、戦後27年岐阜県で教壇復帰した。31年退職して帰郷。著書に「峰地光重著作集」(全18巻)、「私の歩んだ生活綴方の道」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「峰地 光重」の解説

峰地光重 みねじ-みつしげ

1890-1968 大正-昭和時代教育者
明治23年7月8日生まれ。東京の私立池袋児童の村小学校などで生活綴方(つづりかた)教育をおこなう。昭和2年鳥取県上灘(うわなだ)小学校の校長となり,郷土教育,生産教育を実践。17年綴方運動弾圧により退職した。戦後の27年教職に復帰。著作集18巻がある。昭和43年12月28日死去。78歳。鳥取県出身。鳥取師範卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「峰地 光重」の解説

峰地 光重 (みねじ みつしげ)

生年月日:1890年7月8日
大正時代;昭和時代の教育者
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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