棚橋 源太郎(読み)タナハシ ゲンタロウ

20世紀日本人名事典 「棚橋 源太郎」の解説

棚橋 源太郎
タナハシ ゲンタロウ

明治〜昭和期の理科教育の指導者 元・東京国立博物館長。



生年
明治2年6月8日(1869年)

没年
昭和36(1961)年4月3日

出生地
岐阜県本巣郡北方村

学歴〔年〕
東京高師〔明治28年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和33年〕

経歴
岐阜県立師範学校教諭などを経て、明治36年東京高師教授となり、理科教育研究に先駆的役割を果たした。特に大正2年の著作「新理科教授法」は、日本の理科教育に実験的教授法を導入する上で画期的役割を果たしている。その後、東京国立博物館長などを歴任し、博物館事業の普及のために尽力戦後は博物館協会顧問、文部省学芸員国家試験委員、立教大学博物館学講師などを務めた。著書に「世界の博物館」「博物館教育」「博物館・美術館史」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「棚橋 源太郎」の意味・わかりやすい解説

棚橋源太郎
たなはしげんたろう

[生]明治2(1869).岐阜
[没]1961. 東京
明治後期から大正期の理科教育の指導者。東京高等師範学校卒業後,各県の師範学校教諭,東京高師付属小学校訓導などを経て,1906年同校教授となり,一貫して理科教育の振興にあたった。 10年にはドイツ,アメリカに留学,その成果は『新理科教授法』 (1913) として公刊された。このなかで提唱した実験室教授法は理科教育の革新に画期的役割を果した。博物館の充実,普及面での貢献も大きい。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「棚橋 源太郎」の解説

棚橋源太郎 たなはし-げんたろう

1869-1961 明治-昭和時代の理科教育指導者。
明治2年6月8日生まれ。東京高師付属小学校の理科主任として,実物を観察し,実験し,実地におこなうという直観教授法による理科・郷土科教育を実践。のち東京高師教授,東京博物館(現国立科学博物館)初代館長。昭和36年4月3日死去。91歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。東京高師卒。著作に「理科教授法」など。

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367日誕生日大事典 「棚橋 源太郎」の解説

棚橋 源太郎 (たなはし げんたろう)

生年月日:1869年6月8日
明治時代-昭和時代の理科教育者;博物館研究者。東京国立博物館長
1961年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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