金正 米吉(読み)カネマサ ヨネキチ

20世紀日本人名事典 「金正 米吉」の解説

金正 米吉
カネマサ ヨネキチ

大正・昭和期の労働運動家 元・総同盟会長



生年
明治25(1892)年12月8日

没年
昭和38(1963)年11月28日

出生地
佐賀県

出身地
大阪府(本籍)

別名
筆名=金正 金兵衛

学歴〔年〕
小卒

経歴
火夫として九州の炭鉱を転々とした後、大阪に出て大阪人造肥料会社に勤めたが、組合づくりの先頭に立ち解雇された。しかし解雇手当14日分を獲得、解雇予告手当獲得の元祖となった。大正6年友愛会参加、関西労働組合同盟に入って争議を指導。13年大阪鉄工因島の争議指導で検挙された。14年の総同盟第1次分裂後は左派の日本労働組合評議会と対決、15年の総同盟解散まで活躍した。21年再建総同盟副会長、総同盟大阪連合会会長を経て、27年総同盟会長に就任。51年1月辞任した。また国家公安委員、日本生産性本部副会長なども務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「金正 米吉」の意味・わかりやすい解説

金正米吉 (かねまさよねきち)
生没年:1892-1963(明治25-昭和38)

労働運動家。佐賀県生れ。小学校卒業後,炭鉱の機関火夫として各地で働く。その後大阪に移り,1917年友愛会大阪連合会に入会。25年の日本労働総同盟の第1次分裂に際しては,大阪連合会の幹部として左派排除に奔走し,以後松岡駒吉らとともに一貫して右派社会民主主義の立場をとりつづけた。この間30年,大阪連合会会長に就任。敗戦と同時に西尾末広らと大阪地方の労働運動再建の呼びかけを発表。46年,日本労働組合総同盟(総同盟)の設立に際し副会長に就任,後に松岡駒吉のあとを継いで会長(1952-59)。国家公安委員(1948-63)も務めた。また日本生産性本部の生産性向上運動に総同盟として参加することを推し進めた。労働者出身の経験的現実主義者であり,日本的労働組合主義を体現した典型の一人であった。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金正 米吉」の解説

金正米吉 かねまさ-よねきち

1892-1963 大正-昭和時代の労働運動家。
明治25年12月8日生まれ。大正6年友愛会大阪連合会にはいり,11年大阪合同労働組合を創立。西尾末広らとともに右派指導者として活躍。戦後は日本労働組合総同盟副会長をへて,昭和27年会長に就任。23年から国家公安委員もつとめた。昭和38年11月28日死去。70歳。佐賀県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「金正 米吉」の解説

金正 米吉 (かねまさ よねきち)

生年月日:1892年8月8日
大正時代;昭和時代の労働運動家。総同盟会長
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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