HSBC(読み)えいちえすびーしー(英語表記)HSBC Holdings plc

日本大百科全書(ニッポニカ) 「HSBC」の意味・わかりやすい解説

HSBC
えいちえすびーしー
HSBC Holdings plc

イギリス最大規模の金融機関で、イギリス、アジアなどを基盤にする世界有数の銀行持株会社。世界87か国に約7500のオフィスをもつ(2011)。イギリスによる東アジア植民地経営の発展とともに成長した銀行であり、香港(ホンコン)ドルの発券銀行の一つでもある。本社所在地はロンドン

[安部悦生]

歴史

HSBCの源流は1865年香港に設立された香港上海(シャンハイ)銀行Hongkong and Shanghai Banking Corp. Ltd.(HSBC)であり、設立と同じ年に上海とロンドンに支店が設置された。香港上海銀行の創設者であるスコットランド人のトマス・サザランドThomas Sutherland(1834―1922)は、当時有力な海運会社であったP&O汽船の香港総支配人であったが、中国での金融取引の成長性を見抜き、同行を立ち上げた。取引は貿易金融を中心に、為替(かわせ)、マーチャントバンキング(証券引受業務)も行われた。創立後まもなく支店網を中国、東南アジアに広げ、タイでは1888年に開設された香港上海銀行の支店が同国最初の銀行であった。日本フィリピンシンガポールマレーシアミャンマースリランカベトナムなどにも早くから支店を設置。アジア地域以外でも、サンフランシスコ(1875)、ニューヨーク(1880)、リヨン(1881)、ハンブルク(1889)など世界的規模で支店を開設した。1920年からは洋上支店floating branchとして、豪華客船クイーン・メリー号やクイーン・エリザベス号に支店を置き、銀行業務を行ったこともある。

 第二次世界大戦中は本社を一時的にロンドンに置いたが、同行は基本的に香港に本社を置くアジア市場のための銀行であった。戦時中は日本軍の香港占領、また戦後は新中国の成立に伴う国共内戦の影響を受けて事業は困難に直面したが、香港の経済成長および国際化によって成長を続けた。

 第二次世界大戦後は多角化と地理的拡大を大規模に開始し、1959年に中東イギリス銀行British Bank of the Middle East(1889年の設立時の名称はImperial Bank of Persia)を買収、さらに同年マーカンタイル銀行Mercantile Bank(1853年ボンベイで設立)を買収し、アラブ地域やインドに営業網を広げた。1965年には香港の恒生(ハンセン)銀行Hang Seng Bank(1933年設立)の大株主となり、同地での基盤をさらに強化した。1981年にホンコン・バンク・オブ・カナダHongkong Bank of Canada、1986年にはホンコン・バンク・オブ・オーストラリアHongkong Bank of Australiaを設立。翌年ニューヨークのマリン・ミッドランド銀行Marine Midland Bankを買収し、北アメリカにも拠点を設けた。これらの買収した銀行はすべてHSBCの名称のもと、グループの各地域における拠点となっている。

[安部悦生]

1990年代以降

1991年には持株会社HSBCを設立してグループを統括。翌1992年にイギリスの四大銀行の一角を占めていたミッドランド銀行Midland Bank plcを買収し(買収金額は39億ポンド)、イギリスにおける巨大銀行の仲間入りを果たした。1993年香港返還を視野に入れて本社をロンドンに移転。ミッドランド銀行は1836年にバーミンガムで設立された有力銀行であり、戦間期には預金量でイギリス第一の銀行であったが、効率の面でほかの有力銀行に後れをとっていた。HSBCはただちに投資銀行HSBC Investment Bankを設立、それによりロンドンにおけるマーチャント・バンキングが可能になった。またこの合併によりHSBCの資産は860億ポンドから1700億ポンドに急増した。合併後の数年はミッドランドの名称を使用していたが、1999年にミッドランドからHSBC Bank plcへと名称を変更し、HSBCの名前とロゴマークの浸透を図っている。ちなみに同社の六角形(ヘクサゴン)のロゴマークは、スコットランドの旗(セント・アンドリュー旗)に起源がある。

 HSBCの傘下となったミッドランド銀行は情報基盤整備で先行しており、1962年に最初のコンピュータを設置して以来、1965年オンライン・データ処理システムを稼動、1974年にはすべての支店をコンピュータによって自動化していた。HSBCはミッドランド銀行を買収した後、さらなる効率化・コンピュータ化を推し進め、1998年には子会社としてテレフォンバンキングのファースト・ダイレクトFirst Directを発足させ、2000年からインターネットバンキングを開始した。

 一方、1990年代はブラジルやアルゼンチンの銀行を買収してラテンアメリカに進出するなど、さらなる地理的拡大を進めた時期でもあった。1999年、アメリカのリパブリック・ニューヨーク銀行Republic New York Corp.と、その姉妹企業であるサフラ・リパブリック・ホールディングスSafra Republic Holdings SA(スイス)を買収。2000年にはフランスの有力銀行CCF(Crédit Commercial de France)を買収した。同年アメリカの証券会社メリルリンチとの合弁で、富裕層向けオンライン証券のメリルリンチHSBCを設立した。メリルリンチHSBCは米英の強者連合として話題となったが、世界的な株安で収益が低迷、2002年に合弁が解消されHSBCの完全子会社となっている(社名は存続)。

 このように、HSBCは金融国際化の動向に対応して、中国でも大手銀行や生命保険会社に出資するなど、積極的拡張戦略を進めた。その後も、メキシコのビタルBitalファイナンシャルグループ(2002)、シンガポールのケペル保険Keppel Insurance Pte Ltdとアメリカのハウスホールド・インターナショナルHousehold International Inc.(2003、現HSBCファイナンス)、バーミューダ銀行Bank of Bermuda(2004)などを次々と買収。さらに発展の続く東欧、ASEAN諸国、中南米諸国の金融・保険会社に資本参加することで地理的な拡大と顧客数の増大も果たしている。2011年の営業利益は834億6100万米ドル、従業員数31万2866人。

 日本ではHSBCグループは香港上海銀行、HSBC証券、HSBC投信の3社で活動している。

[安部悦生]

『リチャード・Y・K・ホー、ロバート・H・スコット、K・A・ウォン編著、香港金融研究会訳『香港の金融制度』(1993・金融財政事情研究会)』『ヘンリー・エングラー、ジェームス・エッシンガー著、銀行経営研究会訳『激動期の金融戦略――トップが語る銀行等金融機関の将来』(2002・シュプリンガー・フェアラーク東京)』『Frank H. H. King, Catherine E. King, David J. S. KingThe History of the HongKong and Shanghai Banking Corporation Volume 1-4(1988-91, Cambridge University Press, Cambridge)』

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