OPEC(読み)オペック

デジタル大辞泉 「OPEC」の意味・読み・例文・類語

オペック【OPEC】[Organization of the Petroleum Exporting Countries]

Organization of the Petroleum Exporting Countries石油輸出国機構国際石油資本に対抗してみずからの利益を守るため、1960年にイラン・イラク・サウジアラビアクウェートベネズエラの産油5か国が、石油の価格維持・生産調整などを目的として結成した国際機構
[補説]加盟国はアラブ首長国連邦アルジェリア・イラク・イラン・ガボン・クウェート・コンゴ共和国・サウジアラビア・ナイジェリア・ベネズエラ・リビア・赤道ギニアの12か国(2024年3月現在)。インドネシアは加盟国資格を一時停止中。

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精選版 日本国語大辞典 「OPEC」の意味・読み・例文・類語

オペック【OPEC】

  1. ( [英語] Organization of Petroleum Exporting Countries の略 ) =せきゆゆしゅつこくきこう(石油輸出国機構)

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改訂新版 世界大百科事典 「OPEC」の意味・わかりやすい解説

OPEC (オペック)

Organization of Petroleum Exporting Countriesの略称。石油輸出国機構と訳される。1960年9月,イラン,イラク,サウジアラビア,クウェート,ベネズエラの5ヵ国が,イラクのバグダードで開催した会議で結成された。その後カタル(1961),インドネシア,リビア(1962),アブ・ダビー(1967。74年にアラブ首長国連邦(UAE)に委譲),アルジェリア(1969),ナイジェリア(1971),エクアドル(1973年加盟,92年脱退),ガボン(1975年加盟,96年脱退)が加盟し,現在の加盟国は11ヵ国である。北側の先進地域と東側の社会主義地域を除く南側の発展途上地域の主要産油輸出国が集まった国際機関である。結成の直接的契機は,1959年2月と60年8月の2回にわたり,国際石油会社(メジャー)が行った原油公示価格産油国に対する利権料と所得税の基準となる計算(価格))の引下げに求められる。しかしその基礎には,石油資源の保有国がその資源に対する恒久主権をもつという考えが国際的に確立されはじめ,資源ナショナリズムが高揚しつつあった事実がある。ところが実際には,価格決定権をはじめ,石油の生産,輸送,精製,販売等のすべては,国際石油会社の手中に握られており,産油国は受動的に利益配分を受け取るだけの状況に対する不満や反発が,その主動因であったといえよう。

OPEC結成以来1960年代においては,世界の石油市場は,需給緩和状態が持続したために,公示価格のいっそうの引下げを阻止し,その維持に成功したという消極的成果をあげるにとどまっていた。70年代に入ると状況は一変し,OPECは巨大な力を発揮し,いわばOPECの世紀が実現したかのごとき事態が発生した。その原動力となったのは,価格の低迷によって需要が急増し,石炭から石油への転換が急進していったのに対して,新規の開発は進展せず,市場で需給逼迫化の傾向が顕著となったことであろう。まず,70年9月,リビアが原油公示価格と国際石油会社の所得税率の引上げに成功し,71年2月には,アラビア湾岸6ヵ国と国際石油会社との間にテヘラン協定が結ばれて,所得税率と公示価格の以後5年間の引上げ方式が規定された。さらに72年1月と73年6月には,通貨調整によるドル購買力の低下を補塡(ほてん)するための公示価格引上げ方式を規定したジュネーブ協定新ジュネーブ協定とが締結された。この公示価格や利益配分率の引上げにとどまらず,石油資源の恒久主権を確保するために,産油国による自主開発と既存産油会社への事業参加がOPECの政策目標として打ち出された。その交渉は難航したが,サウジアラビアとアブ・ダビー両国と国際石油会社との間で72年12月にリヤード協定が調印された。その内容は73年の25%の事業参加からスタートし,82年には51%の過半の参加を達成するというものであった。

 しかし,OPECと国際石油会社との交渉・協定による問題解決の方式は,73年10月の第4次中東戦争を契機にまさに劇的に展開されたOPECの攻勢により姿を消し,OPEC側が一方的な決定権を獲得するようになった。まず73年10月に,一方的に原油公示価格の70%引上げを決定し,74年1月からは,さらに131%強値上げされ,3ヵ月足らずのうちに,4倍近くにも高騰した。この結果,世界経済とくに日本を中心とする石油輸入国は,第1次石油危機に苦悩することとなった。

 78年末からのイランの国内混乱(イスラム革命)を契機として第2次石油危機が発生して,原油の公式販売価格GSP(government sales price)(100%の事業参加や国有化がなされた結果,公示価格は意味を失う)はさらに3倍近くも値上げされ,81年11月から,標準原油のアラビアン・ライトの価格は,1バレル当り34ドルとなった。しかも,事業参加も,第1次石油危機以降急激に進められ,ほとんどの国で100%の事業参加や国有化が達成されており,その他の国でも60%参加が実現している。このように1960年代は苦節の10年であり,重要視されることのなかったOPECであるが,70年代には目ざましい成功の10年を謳歌することになる。加盟各国は巨額の産油収入を獲得して,意欲的に工業化,経済発展計画を推進してきた。

ところが,かかる石油価格の高騰は,世界経済とくに先進輸入国経済を困難におとしいれ,景気は低迷し,省石油およびOPEC地域以外での石油開発や代替エネルギーへの転換を大いに促進した。1980年代に入ると石油需要は絶対的に大きく減少を続け,石油市場はだぶつき状態を持続し,そのしわ寄せがOPEC加盟国に集中するようになった。この結果,82年には西側の非共産圏世界におけるOPEC諸国以外の原油生産は,OPEC諸国を上回るようになり,OPEC全体では生産能力の半分近い減産を余儀なくされた。ついに83年3月のOPEC臨時総会で,標準原油価格の1バレル34ドルから29ドルへの引下げを決定し,加盟各国は生産割当量を厳守することとなった。

 OPECは,輸出国カルテルないし生産国カルテルといわれているが,加盟国全体が一致して生産を調整・制限し,価格の維持や値上げを図る行動を実行したのは,80年代に入り,価格引下げ実施に追い込まれるようになった前後からである。従来はむしろ消極的な意味で利害の調整を図り,各国独自の大幅な価格や生産量の変更を排除するためのゆるやかなグループであったという性格づけができよう。加盟11ヵ国をみても,政治体制や政治志向,国の規模や経済の発展水準や工業化水準等において,まったく種々雑多であり,最近の原油だぶつき時代を迎えて,利害や意見の対立は深刻化している。穏健派グループ(サウジアラビア,アラブ首長国連邦等)と急進派グループ(イラン,リビア,アルジェリア等),ロー・アブソーバーlow-absorber(人口規模も比較的小さく,工業化の基盤を欠き,産油収入の吸収能力が低く,巨額のオイルマネーをもつ国。サウジアラビア,クウェート,アラブ首長国連邦,カタル,リビア)とハイ・アブソーバーhigh-absorber(人口規模も比較的大きく,工業化の基盤をもち,産油収入の吸収能力が高く,収入が不足する国。その他6ヵ国)等の関係を考慮することが重要であろう。

 OPEC全体として,原油の世界確認埋蔵量の3分の2を現在も保持している。今後世界景気が好況を持続し,石油需要も回復し,世界石油市場における需給関係がタイトになっていくとすれば,供給増大の主たる源泉は,OPECに依然として求めざるをえず,OPECを軽視することはできない。しかし1970年代のような圧倒的な力をふたたびもつとは思えないし,OPEC自体が内部の利害対立や多様性をどう調整していくのかも,大きな問題であろう。

 OPECの機構は,総会(最高の決定機関で加盟国代表により年最低2回開催される),理事会,事務局(総長室,行政,経済,情報,法律,技術の各局,統計部)からなり,本部はウィーンにおかれている。すべての議決は,手続問題を除き,全会一致を原則としている。
OAPEC(オアペック)
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百科事典マイペディア 「OPEC」の意味・わかりやすい解説

OPEC【オペック】

石油輸出国機構Organization of Petroleum Exporting Countriesの略称。1960年9月,バグダッドで開催のイラン,イラク,サウジアラビア,クウェート,ベネズエラの5ヵ国の産油国首脳会議で設立。加盟国は中東諸国を中心にベネズエラ,インドネシアなど11ヵ国(1998年)。本部ウィーン。石油の価格安定と生産調整を目的としているが,1970年代には2度の石油危機を通じて価格を大幅に引き上げ,メジャーから原油の生産・価格決定権を奪回し,直接販売を行うようになった。1980年代には需要の減少と非OPECの国々の進出でシェアが低下し,1990年には35%にまで下がった。内部対立が激しいが,余剰生産力がある。1990年イラクによるクウェート侵攻後,国連はイラクに原油輸出禁止の経済制裁を課している。
→関連項目IEAオイル・ダラー国際カルテル石油産業メジャー

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知恵蔵 「OPEC」の解説

OPEC

石油輸出国による生産・価格カルテル。1960年、イラン、イラク、サウジアラビア、クウェート、ベネズエラの5カ国によって設立され、その後カタール、インドネシア、リビア、アラブ首長国連邦(UAE)、アルジェリア、ナイジェリアが加盟し、11カ国で構成される。設立の契機はメジャー(探鉱・開発・生産から精製・輸送・販売まで一貫操業を世界的な規模で行う国際石油資本)の一方的な価格引き下げによる石油収入減少の防止だったが、70年代には2度の石油危機を通じて価格を大幅に引き上げ、メジャーから原油の生産・価格主導権を奪回した。80年代後半には石油需要の減少・低迷と非OPEC諸国の進出で生産シェアが低下、特に86年には増産・安売りに走り、原油価格は1バレル当たり10ドル以下まで大暴落した。近年は、堅調な需要の拡大や生産能力の制約などの要因から、高値を更新している。

(飯田哲也 環境エネルギー政策研究所所長 / 2007年)

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ASCII.jpデジタル用語辞典 「OPEC」の解説

OPEC

石油輸出国機構。中東を中心とした産油国によって、60年に設立。産油国側の利益を守る目的で、石油の生産量や価格の調整をするための役割を果たす。近年は、ロシアやメキシコの油田、北海油田といった非OPEC諸国の油田の生産量が増加している傾向もあり、その影響力は相対的に低下したといわれる。しかし最近でもOPEC加盟国の原油生産量は世界のおよそ40?50%前後を占めていることからも分かるように、世界のエネルギーバランスにおいては依然大きなウェイトを占めているといえる。加盟国は、サウジアラビア、イラン、イラク、UAE、クウェート、カタール、アルジェリア、ナイジェリア、リビア、インドネシア、ベネズエラ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「OPEC」の解説

OPEC
オペック

石油輸出国機構(Organization of Petroleum Exporting Countries)の略称。中東・アフリカ・南米など12(2014年)の石油輸出国が結成するカルテル。1960年メジャーによる価格引下げへの対抗を目的として結成された。第4次中東戦争を機に原油価格・生産量の決定権を握り,価格引上げによって1970年代に2度の石油危機をひきおこしたが,石油需給の緩和,加盟国の政治的対立の激化により影響力は低下した。

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FX用語集 「OPEC」の解説

OPEC

石油輸出国機構(Organization of the Petroleum Exporting Countries)。石油産出国の利益を守ることを目的に1960年9月14日に設立された産油国の組織で、加盟国は現在12ヶ国。本部はオーストリアのウィーンにあります。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「OPEC」の解説

OPEC(オペック)

石油輸出国機構(OPEC(オペック))

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「OPEC」の意味・わかりやすい解説

OPEC
おぺっく

石油輸出国機構

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旺文社世界史事典 三訂版 「OPEC」の解説

OPEC
オペック

石油輸出国機構

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「OPEC」の意味・わかりやすい解説

OPEC
オーピーイーシー

石油輸出国機構」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のOPECの言及

【石油危機】より

…この石油づけの状況下で,石油の供給が途絶ないし量的に制限されるか,石油価格の高騰が生ずれば,経済やわれわれの生活は決定的な影響を受けざるをえない。 第1次石油危機は,1973年10月6日勃発の第4次中東戦争を契機に,OAPEC(オアペツク)が採用した石油戦略による石油の禁輸・量的制限と,OPEC(オペツク)が一方的に実施した原油価格の大幅引上げとにより発生した。まず石油供給の量的制限は,石油備蓄の放出および節約・有効利用の推進によって相殺されないかぎり,経済の実態面における生産の減少,生活水準の低下を生じさせることになる。…

【石油産業】より

…事実,埋蔵量/生産量比率は,過去毎年30年前後を保ってきている。 埋蔵量を地域別にみると,中東地域に66%,さらにOPEC(オペツク)加盟国に77%が集中している。このような石油資源賦存の偏り,とくに一部発展途上国への偏在が,後述するように1970年代以降の石油問題に大きな影響を及ぼすことになった。…

【OAPEC】より

…機構としては,総会,理事会,事務局があり,事務局はクウェート市におかれている。OPEC(オペツク)(石油輸出国機構)との関係については,全般的かつ高次元の石油政策はOPECが決定し,OAPEC加盟国はその決議に従うものと規定しており,その枠内においてアラブ産油国特有の政策の決定が行われる。 OAPECの名が世界的に広く知られるようになったのは,73年10月17日に発動した石油戦略によってである。…

【石油危機】より

…この石油づけの状況下で,石油の供給が途絶ないし量的に制限されるか,石油価格の高騰が生ずれば,経済やわれわれの生活は決定的な影響を受けざるをえない。 第1次石油危機は,1973年10月6日勃発の第4次中東戦争を契機に,OAPEC(オアペツク)が採用した石油戦略による石油の禁輸・量的制限と,OPEC(オペツク)が一方的に実施した原油価格の大幅引上げとにより発生した。まず石油供給の量的制限は,石油備蓄の放出および節約・有効利用の推進によって相殺されないかぎり,経済の実態面における生産の減少,生活水準の低下を生じさせることになる。…

【石油産業】より

…事実,埋蔵量/生産量比率は,過去毎年30年前後を保ってきている。 埋蔵量を地域別にみると,中東地域に66%,さらにOPEC(オペツク)加盟国に77%が集中している。このような石油資源賦存の偏り,とくに一部発展途上国への偏在が,後述するように1970年代以降の石油問題に大きな影響を及ぼすことになった。…

※「OPEC」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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